「機動戦士Zガンダム 星の鼓動は愛」 : このラストは・・・

富野由悠季監督が、自分の作品群の中で最も嫌悪していたTVシリーズの20年以上経過してからの劇場作品化。
「星を継ぐもの」「恋人たち」と来て、この「星の鼓動は愛」で3部作完結。

富野作品、私は好きでした(最近作見てないので過去形)。
79年のファーストガンダムインパクトは大きかったですし、80年の「伝説巨神イデオン」の面白さと思想性の引力は非常に強いものでした。

戦争という悲劇を、人間の業として描くのが一貫したテーマ。
丁度、富野氏が[Zガンダム」を放映していた85年頃、雑誌のインタビューに答えて確かこう発言していました。


「戦争の発生要因は、経済を中心として人間が常に過年度比較で右肩上がり成長を求めることにある」


共感度の高い言葉でした。
20年以上経過しても、私の中でそれは変わっていません。


前年より今年、今年より来年。そして中長期的な将来へ。
人間の経済活動は常に成長を求めます。 それが進歩を生み発展を生み出し、新しい価値を生み出します。
そのために、私たちは働いています。

ただ私は時折思います。
右肩上がりの成長を目指し続けることが、人間にとって本当に幸福なことなのか?

まあ、そんなことを考えてるから社会人としてはあまり優秀ではないのでしょう。



さて、「星の鼓動は愛」です。

今回の映画化にあたって、半分くらいの作画がリニューアルされています。
20年間の技術革新とスタッフの新陳代謝の結果、新旧の画のテイストにものすごくギャップがありますので、常にキャラクターの統一感を脳内補完しながらでないと観れません。

何せTVシリーズのダイジェストですから、細やかな味わいは難しいです。
宇宙を舞台にしたハードな戦場描写に終始し、その上3部作の完結ですから多くの登場人物が次々に死んでいく様が描かれます。


注目は、主人公のカミーユ・ビダン
オリジナルでは、この過敏な少年は戦場の過酷な現実の中で精神崩壊に至ってしまいます。
TVの最終回を観た時、それはとても印象強いものでした。

ただ、この終局については、富野監督自身が当時のご自身の精神的な病理の反映をあまりに直裁に行いすぎたと説明し、そのこと自体を嫌悪されていました。

そのため、今回の映画化にあたっては、この終局を創りかえることが注目された訳です。


その結果ですが、私には物足りませんでした。
戦場にあふれる人間の不条理を吸収しすぎて自己崩壊する主人公像がなくなったことで、カミーユが単なる狂言回しになってしまいました。

やはり、20年前。富野氏には不本意だったろう制作状況の中で生み出したキャラクターの精神性には、それなりの重みがあったと思います。
物語世界を維持したまま、主人公の精神に健全性を与えても、何だか単にパーツを取り替えたみたいで・・・。
オリジナル版を観た時に自分の気持を掴まれたような、不思議な味覚のようなものが希薄になってしまい、残念です。




伝説巨神イデオン

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富野アニメの最高峰。
ガンダムのヒットを下敷きに、商業ベースの作品としては限度いっぱいの思想性を叩き込んだ異端の作品。
TVシリーズがラスト数話を残して強引に打ち切られた後、その残り部分を劇場作品化して公開に至った、現在では考えられないような経緯を辿ったもの。
できれば、TVシリーズ分を観た上で、この劇場版「発動編」を観て欲しい。
戦後世代にとっての“戦争と人間”を描ききった文学だと思っています、私は。