映画とは別の話をⅡ : 短い雑感

もう少し早く帰宅したかったのですが仕方がありません。
何とか北海道日本ハム日本一のシーンを見るのに間に合いました。

よかったよかった。
札幌ドームでの胴上げという結末は、それなりに美味しいラストだったと思います。
パ・リーグの勝利で、ひとまず溜飲を下げられました。


閑話休題


スポーツニュースに続いて、高校の必修科目未履修問題のニュースが流れました。

山形の高校で、生徒の前で釈明する学校長たちの映像です。
生徒たちから質問を受けてしどろもどろになっている先生たち・・・。


見ていて非常に不快でした。

一体いつごろから、日本の“大人”たちはこんなにみっともなくなってしまったのでしょう?

北海道や福岡のいじめ自殺の件と併せ、最近の教育現場の大人たちはいささか見苦しいのではないかと思います。



自分が履修したから言うわけではないですが、世界史を学習することは、社会人の教養の土台を築くことです。

日本史と地理をやっておけばOK、という問題ではないはずです。
日本史も地理も知った上で、10代後半くらいの時期に、世界各国・各民族の歴史を知る学習は、非常に大切なはずです。

確かに、世界史は事象の関連する時空イメージが広いので、受験勉強としては範囲が広がりすぎて、生徒たちに嫌われる傾向にはあると思います。

しかし、だからといって、「教育者」と呼ばれる人たちが雁首を揃えて迎合してどうするのでしょうか?

それでも「教育者」のプライドはあるのでしょうか?



先生方にも様々な事情やご苦労があることは重々承知です。

児童・生徒本人や、その保護者の責に帰すべき問題課題も山積していることもよくわかります。
とんでもない酷い子どもと、あきれ果てた保護者が大勢いることも理解します。



それでも、“世界史を学ばなくてもよいことにしちゃおう”などとは思って欲しくなかった。

それでも、“いじめの存在を認めると責任を問われるから認めないことにしよう”などとは思って欲しくなかった。


この問題に加担した先生方は、児童・生徒から直截な質問を受けたときに、大人の矜持を示すことができるのでしょうか?


私は、教育が成立するためには、教わる側から教える側に対するリスペクトが必要だと思っています。

100%でなくても、子どもが大人を見たときに、何らかのリスペクトに値するものを持ち合わせていないといけないと思っています。

例えばそのひとつが、大人の矜持というものだと思います。


こういう先生方の醜態を目の当たりにした児童・生徒は、どのような影響を抱いて大人になっていくのでしょうか?
とても心配です。


日本が、“美しい国”になるためには、大人が大人らしくあらねばならないと思います。

戦後60年の中で、「経済的な成功」にしか羨まれる大人像を描くことができなかった、これまでの大人たちを、私は尊敬することができません。

そして、その世代に事実上加わっている自分自身を懼れます。
自分にとっての矜持とは何か・・・。



次回は、映画の話に戻りたいと思います。