「隠し剣 鬼の爪」
随分前に鑑賞しているのですが、ふと思い出して書き込みます。もうすっかり巨匠となった山田洋次監督の本格時代劇第2弾。
「たそがれ清兵衛」の続編のような感じですが、私はこっちの方が好みです。
- 出版社/メーカー: 松竹ホームビデオ
- 発売日: 2006/11/22
- メディア: DVD
- クリック: 6回
- この商品を含むブログ (43件) を見る
藤沢周平の小説自体には関心がありませんので、あくまで純粋に劇映画として観ているのですが、なかなか好ましい作品世界です。
「たそがれ・・・」同様に時代考証と生活感のリアリティを大事にして丁寧に作りこんだ土台の上に、侍という組織人が味わう理不尽と悲哀を描いています。
“サラリーマン哀歓”的なドラマとして見るならば、「たそがれ・・・」の真田広之よりも、こちらの永瀬正敏の方がヒーロー然としていない分リアルに観る事ができると思います。
しかしながら、私がこの映画で強く惹かれるのは、ヒロインの松たか子です。
ある種の身分違いの恋の感情もモチーフのひとつなので、ヒロインはヒロインらしく美しく描かれている訳ですが、その立ち居振る舞いとセリフの美しさ、奥ゆかしさには、改めてこの国の歴史の中で蓄積された美意識のようなものを認識させられます。
その意味で、主人公の永瀬正敏にすっかり感情移入して観る事ができました。
“それは、旦那はんのお言いつけでがんすか?”
劇中幾度となく登場する、松たか子のこのセリフ。
中盤とラストのポイントとなるシーンで非常に上手く使われています。
わかっていても、心に沁みる、まさにウェルメイドな演出に気持ちをぎゅっとわしづかみにされてしまいました。
観ていない方にはわからないでしょうが、この映画のラストは本当に清々しい。
物語自体は結構救いのない展開が続きますし、武士の時代が終焉し、近代化に伴う新たな戦争の空気を漂わせていくのですが、そういう中だからこそ、主人公とヒロインの絆が一条の光のように救いとなって目に映ります。
所詮劇映画を観て思うことなので大層な考えではありませんが、こういう日本と日本人の美意識というものが失われていったことを本当に残念に思います。
現代の日本人は、歴史と風土に根ざした民族のオリジナリティある言動の美意識を持たずに日常を過ごしているように思います。
服装や生活様式なども、西欧からの輸入品であり、それもたかだか100年程度の経験しかありません。
様々な民主化・自由化・ジェンダーの否定などに洗われて、私たちの言語感覚もどんどん軽薄化しています。
例えば、学校でのいじめをめぐる報道に記される、こどもたちの“ことば”。
そこには一片の美意識もなく、ただただ薄汚く醜悪です。
子どもたちにあんな唾棄すべきことばを吐かせるために、この国の大人たちは経済発展に汗を流してきたというのでしょうか?
“美しいものを嫌いな人がいて?”
25年ほど前のファースト・ガンダムの有名なセリフですが、最近では美しいものを感じることなく生きていける人間が沢山いるように思えてなりません。
何やら、この映画について考えるうちに話が流れてしまいました。
毎度のことではありますが、ご容赦ください。