「博奕打ち・総長賭博」1968

kaoru11072006-11-23

生前の三島由紀夫が「映画芸術」1969年3月号で大絶賛した映画。ずっと観る機会に恵まれず、レンタルにも出ていなかった。DVD発売を知り予約していました。


博奕打ち 総長賭博 [DVD]

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三島曰く、“私は『総長賭博』を見た。そして甚だ感心した。これは何の誇張もなしに「名画」だと思った”“何という絶対的肯定の中にギリギリに仕組まれた悲劇であろう。しかも、その悲劇は何とすみずみまで、あたかも古典劇のように、人間的真実に叶っていることだろう”まさに、その批評に違わぬ傑作。


昭和9年、東京の天竜一家の総長が倒れる。跡目に推挙された中井(鶴田浩二)は一家の客分筋だからと辞退し服役中の兄弟分松田(若山富三郎)を推す。しかし満州利権に組を利用しようと画策する叔父貴分の仙波(金子信雄)はナンバー3の石戸(名和宏)を強引に2代目とした。
多少の異論も飲み込んだ中井だが、出所した松田は話を聞いて激高。石戸が跡目を受けるのは筋違いであり、弟分として中井を説得すべきと主張。それでも中井が不承知なら次に自分に話が来るのが筋と言う。
松田の暴走を中井が諌める中、2代目襲名披露の準備は進み、やくざ社会の筋目立てと意地の絡み合いが女たちの恋情も巻き込みながら、刻一刻と悲劇への歩を進めていく・・・。


沢山のやくざ映画と同じように見えながら、任侠道と義理人情の道具立てがすべて悲劇の構成要素となり、最終的にはやくざのヒロイズムを否定する形でのクライマックスに至るという、究極のやくざ映画となっています。

金子信雄が唯一のステロタイプな敵役として悲劇の舞台を設えてますが、そこに乗るすべての登場人物の論理と感情が突き詰められて描かれます。
一見ありふれた設定であっても、ひとりひとりの人間の切実さが見事に画面から立ち上るのです。
主要人物の誰もが共感できる事情と感情を背負っており、悲劇への道筋を構成するパズルのピースになっています。どのピースが欠けてもいけません。それほどにロジカルに練られた脚本は見事です。


脚本は、「仁義なき戦い」の故・笠原和夫氏。
笠原氏は当時ギリシャ悲劇を読み込んでいて、次作にそのエッセンスを反映させたいと考えていたそうです。
それは果たせるかなやくざ映画の金字塔の誕生につながったと思います。

昭和の劇―映画脚本家・笠原和夫

昭和の劇―映画脚本家・笠原和夫

主役の鶴田浩二、助演の若山富三郎にとっての代表作であることに間違いないですが、脇役においても凡百の映画なら描きこまれることのない人物描写があり、その厚みに非常に感心しました。

例えば、桜町弘子演ずる中井の妻。
一家の親分を刺そうとした松田の子分を命に代えて逃がす芝居場が素晴らしい。やくざ社会の筋目よりも若い恋人たちの心情を思いやった行動を、一死をもって償う女の意気地が描かれます。

例えば、名和宏演ずる一家の2代目石戸。
ただの敵役に貶めることなく筋目を通す男の意地の見せ場があります。自分が知らぬところで叔父貴分の傀儡にされていた事実を知り、自らの意志を証明するために、松田に負わされた重傷を隠し痛みに耐えて襲名披露式を演じ遂げる姿には、思わず涙腺が緩みました。


これほどのクオリティの傑作でありながら、公開当時1968年のキネマ旬報ベストテンでは1票も入っていません。評論家からは無視されていた存在です。興行的にも不入りだったそうですし、公開翌年に三島由紀夫の賞賛が発表されるまではまったく光が当たらなかった映画です。

この3年後、笠原和夫・鶴田浩ニ・山下耕作の同じトリオで「博奕打ち・いのち札」(1971)という、これまた傑作が生み出されます。今度は組の親分の跡目に座らざるを得ない未亡人(安田道代)と子分(鶴田)の禁断の愛を描くものです。これもDVD出してくれないかとお預けをくっています。



※この映画のDVD発売は、“映画瓦版”を記されている服部弘一郎氏のブログで知ることができました。この場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました。