「硫黄島からの手紙」2006 

kaoru11072006-12-07

私は今とても憤っている。
誰に対してなのか? 何に対してなのか? おそらくそこには自分自身も含まれている。



試写会で観てきました。

少なくとも私が今年観たもので最高で最良の一本。
奇をてらう事なく冷静に、そして知的に対象を見つめた映画。それもハリウッドの手によって描かれた日本人の物語。

イーストウッドポール・ハギスら制作者たちの、芸術的良心とフェアネスには深く頭を下げるしかありません。

父親たちの星条旗」をあらかじめ観ておく事で、「硫黄島からの手紙」の味わいは一層深まるプロジェクトになっています。しかし、こちらの1本だけでも私たち日本人にとっては十二分にインパクトのある作品となっていました。



宣伝文句で誤解してはなりません。この映画は、決して栗林中将(渡辺謙)のクレバーな指揮官ぶり、その英雄的な描写を中心に据えたものではありません。
序盤にこそ、そうした描写がありますが、戦端が開かれてからの演出では殆ど皆無になります。リベラルで親米家で知性的な彼ですら、苛烈で悲惨な消耗戦を強いられた一兵士でしかないことが、淡々と描かれていきます。
そうしたイーストウッドの演出姿勢が非常に好ましく、冷徹な戦争映画・戦場映画として、この作品をレベルの高いものにしていると思いました。一切の陳腐さと無縁です。


戦場にいた米兵も日本兵も同じ人間だった、という納得が制作者たちの腹におちていることがわかります。
ここに描かれた日本人の姿は、陳腐なオリエンタル趣味に流れることもなく、表層的なイデオロギーの色眼鏡に染まることもなく、真摯にフェアに、あの時代に生きて死んでいったはずの日本人像を多様性をもって描き出していたと思います。


二宮和也が事実上の主演ですが、非常に素晴らしい演技をみせてくれています。アカデミー賞の助演にノミネートされても不思議はないように思いました。
2時間半に近い作品中、私が時計を一度も見なかったことは珍しいですし、二宮くんの表情に幾度も涙がこみ上げそうになりました。彼の演技は当時の日本兵らしくはないかもしれませんが、現代に生活する私たちとこの物語世界の橋渡しをしてくれる表情だと認識します。


しかしながら…。
こうした映画が、アメリカの手によってしか作り得なかった事実がたまらなく悔しいです。

イーストウッドが素晴らしい映画人であり、彼が日本人の物語をこれだけの大作として描いたことは素直に嬉しく思います。
しかし、彼の作劇・演出が納得度の高いものであればあるほど、私たち日本人の資本とスタッフによってでも、十分に可能なことだったろうと思い至る訳です。
そして、仮にそういうことが可能だったとして、私たちは他民族・他国民をこの映画のようなフェアネスをもって描くことができるでしょうか?

そう思わざるを得ないことに、そこに自分自身が何ら貢献し得なかったことに、大変悔しさを覚えます。何故不可能だったのかと憤らずにはいられません。