「武士の一分」2007

kaoru11072007-01-22

遅ればせながら劇場で鑑賞してまいりました。
たそがれ清兵衛」「隠し剣 鬼の爪」に続く山田本格時代劇3部作完結編。丹精込めて作りこまれた見事な作品になっていました。

前2作と比較して明らかな違いがひとつあります。それは庄内の山河の風景が殆ど見られないこと。
「たそがれ…」も「隠し剣…」も、主人公たちの倹しくも切実な日常と事情は、美しい緑と澄んだ水の背景に点描されることで、清冽に淡々と描写を重ねていっていました。それが観る側には非常に心地よく、物語に引き込まれる舞台装置にもなっていたと思います。
それが今回はすっかり影を潜め、後半の立ち回り場面に至るまでは、息詰まる室内劇、舞台劇であるかのようです。徹底したセット撮影、おそらくはキムタクのスケジュールに起因したのではないでしょうか。主役の集客力と引き換えに、山田監督は高いハードルを与えられたのではないかと思います。
それを解決する演出プランとして、笹野高史演ずる中間の徳平を物語の進行役に据えることが選択されたのではないでしょうか。そして、それは監督の熟達の演出と相まって、高い効果をあげています。

観客は物語の各局面を、常に徳平の言動を通して実感していきます。彼は新之丞(木村拓哉)と加世(壇れい)の鏡となって、彼らの心情の変化を映し出していきます。単なる狂言回しではなく、主人公の感情描写の増幅器になっている訳です。そこにベテラン・バイプレーヤー笹野高史の円熟が全開して、すべての登場人物の出入りを面白く見せることに成功しているのです。これは上手い。さすが長年の“とらや”経験を経た演出の妙味です。

そうした舞台の上に乗った主役がまた見事。キムタクの演技は予想を超えるものではなかったにせよ、長回しのカメラの前での立ち回りは迫力十分。また、彼特有の息を抜いた軽い台詞回しがうまく活用されて、微笑ましい家庭内の空気感を描き出していました。
そして、この映画最大の収穫はやはり壇れい。見事に美しいのに、決して映画の空気を乱さない。つまり登場人物の生活感を超えて自己主張してこないのです。映画女優としては新人であることが、うまく効果を上げていると思います。

宮沢りえにせよ松たか子にせよ、前2作のヒロインがうまく物語りに溶け込めていたのは、やはり庄内の風景描写の中に置かれることで、見慣れた芸能人としての存在感を薄めることに成功していたのだと思います。その手法が今回は使えませんので、他作品のイメージのない女優の起用がベストだと思います。そして、今回のキャスティングは大成功。彼女の好ましい容貌と立ち居振る舞いの美しさは、物語の情感・激情をしっかり支える説得力を持っていました。
彼女の炊いたごはんなら、きっと私だって箸をつけずとも判別できるはず、と確信します(笑)。

最後に付け加えたいのが坂東三津五郎。よくぞこの役を引き受けてくれたと思います。彼クラスの役者が演じてこそ、新之丞と加世の激情が浮き上がるのです。監督もプロデューサーも、きっと感謝を惜しまないでしょう。さすがはプロです。



…という映画でしたが、今回、私は20数年ぶりに母と鑑賞してきました。

考えてみれば、私が初めて映画館に行ったのは母に連れられての幼稚園児の頃。「大怪獣空中戦ガメラ対ギャオス」「大魔神逆襲」の2本立て。おそらく私がせがんだ結果なのでしょう。この2作品は、現在の眼で観ても十分に面白いハイレベル作品でしたので、私は“映画はとっても面白い経験ができるもの”と学習したのでした。
その後も、夏休みのゴジラ映画など、引率してくれるのはいつも母でした。怪獣映画に興味があったとは思えず、私が子どもを「劇場版クレヨンしんちゃん」に嬉々として連れて行くのと訳が違います。よくぞ我慢して付き合ってくれたものです。
やがて思春期となり、怪獣映画以外の映画に目覚めることになります。その頃になると、父の存在が浮上してきます。
中1の夏、「007/死ぬのは奴らだ」を観て来て面白かったと騒いでいる私に“007は面白いに決まっている”と言い放ったひと言。高1の秋、「犬神家の一族」の新聞広告を眺めていた私に“横溝正史はともかく監督(市川崑)がいいからな(期待できるかも)…”と呟いたひと言。この2つの父の台詞は、その後の私の映画鑑賞姿勢を決定付けていたことに気づかされます。
ブロンソンの「メカニック」も、「スティング」も「ジョーズ」も、何と「スターウォーズ」までも、私は父と二人で鑑賞しています。
両親が育った環境には、小さな地方都市とはいえ、すぐ近所に映画館がありました。二人の青春期は昭和20年代〜30年代、まさに日本映画の黄金期。様々な映画を浴びるように観て来たのでしょう。その影響は時を経て、幼い私の日常にそこはかとなく引き継がれたのだと思います。その意味で、私の最初の映画の師匠は両親です。


私の2番目の映画の師匠、淀川長治氏が言っていました。
“人生で最も貧しいことは、教養がないことです”
“人間を最も美しく健康にするのは化粧でも服装でも薬でもない。それは感動の涙で頬をぬらすことです”
ここに言う「教養」とは、学問や知識という意味ではなく、この世にある美しいものとそうでないものの違いを知っているということだと思います。そして、私は沢山の映画を観ることを通して、そのような視点で世の中を見るようになりつつあります。未だほんの入り口ではありますが。
そして、そのような視点を獲得するきっかけを与えてくれた若き日の両親に感謝しています。