怪獣映画の革新 “平成ガメラ3部作”95〜99

kaoru11072007-03-18

またマニアックなものをと眉をひそめられそうなのですがご容赦願います(笑)。
95〜99年にかけて製作された“平成ガメラ3部作”は、監督:金子修介&脚本:伊藤和典特技監督樋口真嗣、凄いトリオの手によるもの。
ガメラ 大怪獣空中決戦」(95)「ガメラ2 レギオン襲来」(96)「ガメラ3 邪神覚醒」(99)の三作品。06年公開の角川映画「GAMERA 小さき勇者たち」はこれらの影響下にありますが内容的な関連はなく、一応別物と扱うべきでしょう。
興行的には成功したとは言い難いですが“特撮怪獣映画”のクオリティを確実に高い次元に引き上げた作品群。もう10年程が経過しましたが、今日観てもまったく陳腐化していない映像です。「ガメラ2」は96年、映画として初の日本SF大賞を受賞しています。

本来”ガメラ”とは、東宝ゴジラに対抗する怪獣映画を企画していた大映において、当時の永田社長が飛行機内で思いついた「空を飛び火を吐く亀で行け!」のひと言で製作された1965年の「大怪獣ガメラ」に始まるシリーズ映画。71年の大映倒産で実質的に終了するまで、当時の小学生にとってはゴジラ映画と対で語ることの多い娯楽作でした。円谷英二が率いた東宝特撮の質感にはやや及ばないものの、“子どもの味方”というガメラの性格付けや登場する怪獣の生物としての特性描写に特徴があり、それなりに予算がかけられた初期のものはなかなか見応えがありました。

子ども時代にこれら60年〜70年代の怪獣映画に浸った世代が、様々な分野の実務の前線で意思を形にできるようになった90年代以降のタイミングで“ガメラ映画”のリメイクが企画された訳です。そして伊藤&樋口&金子という同世代3人がそれを担い、最大限のクオリティを追求して生み出したものが、“平成ガメラ3部作”であるのでした。
3人のクリエイターがそれぞれに「こんな怪獣映画が観たかった」という思い入れを、プロとしてのスキルで可能な限り妥協を排して創り出しています。95年の「ガメラ」こそ、多少昔のシリーズのテイストへの配慮を入れ込んでいますが、それを脱却した「2」「3」に至っては、オリジナリティ溢れる挑戦的な映画になっています。そこには、“怪獣特撮映画って、要はお子様向けにこの程度でやっときゃ受けるのよ”的な低級感覚はまったくありません。仮に、こういうジャンル映画への偏見が世間にあるとして、明らかにそれを覆す意欲が込められています。

ガメラ 大怪獣空中決戦 [DVD]

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実際、伊藤&樋口&金子の3人は、「3」の製作において各自の見解とイメージの相克が明らかになり、トリオは空中分解に至ります。結果4作目の目はなくなってしまいますが、彼らが“適当に”関わっているのならばそんな事態は生じないはずで、この事実は本気度の証明ですらあると思います。


ガメラ2 レギオン襲来」(96)は本格的な侵略SF。現代の日本に地球外生命体による侵略が行われた場合の防衛シミュレーション映画でもあります。現法制下での戦争状況を描いているという点でも画期的だと思います。3部作では本作の完成度が最も高いと言え私も一番好きです。
札幌郊外への隕石落下に端を発した通信障害事件から札幌地下鉄の封鎖に至る冒頭のサスペンス、仙台市崩壊を描く中盤のスペクタクル、内閣総理大臣発令による自衛隊の防衛出動から足利での最終防衛ライン展開となるクライマックスと、見所満載のご馳走です。その縦糸に、レギオンなる未知の生物の特性分析を民間人と公務員とが協働していく友情と“仕事の達成感”の味わいを横糸として絡め、社会人たちと怪獣との闘いを、知的に熱く描き出すことに成功してます。
大人たちが自らの職能の発揮に努めることで困難な大状況を解決していこうとする物語は、少年期の文芸体験としてとても大切だと思います。

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ガメラ3 邪神(イリス)覚醒」(99)は確信犯的な挑戦作。「2」のような完成度を犠牲した形になりましたので、相当破綻してしまった要素も多く成功した作品とは言いがたい。ただ、ここまで描いたという事実は、今後のこのジャンル映画を考える際に無視できないものになっています。本作の大きなテーマは戦争被害です。
“都会であんな巨大な怪獣や宇宙人が暴れたら、それが正義と防衛の戦いであってもすごい犠牲者が出るんじゃない? それでもみんな安穏としてるのってヘンだよね”  怪獣映画や特撮ヒーローものを見ていれば、良識ある大人の揶揄はこんなコメントになってよく表れる訳ですが、本作はまさにそこがモチーフ。
前田愛が演じたヒロインは「ガメラ 大怪獣空中決戦」(95)における都内でのガメラの“正義の”戦闘の巻き添えで両親を失い、ガメラへの恐怖と怨念を抱いて思春期を過ごしている少女です。

やがて彼女の怨念は、ガメラ以上の脅威となる怪獣の育成につながっていくストーリーが展開します。さらに加えて、この物語世界における怪獣出現の理由とは何か? 何ゆえ日本においてだけ怪獣被害が続発するのか、というテーマにまで自己言及していきます。ジャンルの内側からジャンルの限界を超えようとする試みに満ちているのです。それが完成度を損なう結果に陥っているとしてもその知的な実験を私は支持します。

ガメラ3 邪神<イリス>覚醒 [DVD]

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そして、映画中盤に配された渋谷崩壊のスペクタクル。おそらく邦画史上最高の質感を持つ特撮映像場面。しかも映画のテーマを浮き彫りにするために、“怪獣同士の戦闘による建造物被害と人的被害”を描き出しているのです。60年代に円谷英二という特撮の神様がタブーにしていた描写への挑戦がそこにありました。渋谷の街をご存知の方には是非観てもらいたい10分間です。
ただ、これだけの意欲的な試みを注ぎ込むには時間も予算も足りなかったのでしょう、ラストはまさに「つづく」というエンドタイトルが似合いそうです。そこからもう1本分の映画が展開される必要がある、つまりは物語を完結できていないのです。そんな弱点はいくらでも挙げられますが、それでも本作に込められた挑戦と質的な高さを貶める気にはならないのです。



たかが怪獣映画、されど怪獣映画。
鼻先で笑われることには慣れっこです。しかし、新たな世代が前世代の構築した次元を凌駕していこうとする試みが苛烈に行われている映画ジャンルが日本にどの程度あるでしょうか? “あらゆるジャンルに貴賎なし、されどジャンル内に貴賎あり”と名言を吐いたのは、確か村松友視氏だったと思います。少なくともこの3作品、同世代のクリエイターの本気が詰まっています。


こういうマニアックな記事には殆どコメントいただけないことは理解している積りです(笑)。次回はもう少し一般受けのする作品を扱いたいと思います。