「ロッキー・ザ・ファイナル」2006

kaoru11072007-04-29

休日出勤の残業に何とか区切りをつけて、職場に隣接したシネコンに駆け込みました。時計を見れば上映5分前。駆け込んで大正解。
あまり冷静な評価はできません。私の胸は上映時間中ずっと締め付けられていましたから。


第1作がアカデミー作品賞をかっさらって話題騒然となったのが30年前。スタローンも歳をとりましたが、当然こっちも同じ時が流れている訳で、いつの間にかとっくに不惑すら通り過ぎています。リアルタイムであるということ。同時代にいるからこそ享受できる感動というものは間違いなく存在します。いつでもない、今観ることが、私にとって意味がありました。


私は「ロッキー」シリーズ自体にはさして興味はありません。“EYE OF THE TIGER”(「3」の主題歌)なんかは好きで良く聴いたものですが、「2」以降の作品自体に触手が伸びたかと言えば、否。面白くない訳じゃないけれど、悪い意味でマンガチックに堕してしまったように感じていました。クライマックスのリングシーンにもリアリティが感じられなかったのです。私には乗れない種類のエンタメでした。

しかし、今回は意外な程の質感の高さ。あぁ、これは紛れもなく第1作目からダイレクトにリンクした作品だ、と思えました。
何というか、描写のすべてが上滑りしてません。登場人物を、フィラデルフィアの裏町を、そこに暮らす人たちを見つめる視線のすべてに、素直な共感と深い愛情が込められています。しかも、知的な冷静さも忘れずに。対象を愛しながら突き放した目線も併せ持つ感じ。手持ちカメラの小刻みな揺れが印象的な短いカットを積み重ね、それを感じさせてくれています。

加えて、色調を意識的に落とし、パートカラーを用いたり、回想場面の画面設計にもひとつひとつ丁寧なデザインの工夫が施されていて、非常にスタイリッシュな美しさもあります。これが、あの「ロッキー」シリーズかと正直思いながら観ていました。

何より、シナリオも含めたキャラクターの作り込みと、役作りが見事。30年という時間の経過があってこその人物像が、観念的にも肉体的にも深く彫りこまれているのです。シルベスター・スタローンという人間の成功と紆余曲折をそのまま投入し、今現在に生きる人間像、その狂気と挑戦への賛歌を打ち出しています。それをリアルタイムに体験できる幸福がありました。

作品の構成は相変わらず単純明快。過去に生きるしかない日常を描く前半、挑戦に動き出す中盤、肉体と精神が常識の壁を越えようとするファイトシーンの後半。しかしそこに、スタローン自身のリアルな肉体と表情、経験から得た人生観を直接込めたセリフが加わることで、構成の単純さは観客の心情に重いパンチを届かせる効果を生みます。
所詮絵空事であるはずなのに、とてつもなくリアリティを感じます。本当の現実っぽいという意味ではありません。人物の肉体と精神の在りように強い実感が伴うとでも言いましょうか。
ワンパターンのシリーズ映画が、30年という時間の経過をそのまま受けとめて見せたときに、こんなにも観るものを打つことができるのか、と単純な感動を覚えました。こればかりは「007」も「寅さん」もなしえなかったことです。スタローン一世一代の極めつけです。


もちろん、こんな感じ方を若い人がするとも思えません。立派に中年になっているからこその共感でしょう。でも構いません。今の年齢でこそわかる感動があるとすれば、まさしくツボにはまった訳です。他の世代にわかってくれとは言いません。今回ばかりは、ロッキーが吐くベタなセリフを正面から受けとめ続けました。彼の実年齢を知るからこそ聞く事ができます。だから、これで良いのです。

それにしても、あの年齢であれだけのビルドアップは凄いものがあります。今回のリングシーンは、これまでのシリーズよりリアリティを増しています。それだけ肉体を酷使しているはずです。きっと薬物も大量に使用しているのでしょう。何故そんなリスクを背負ってまで、成功者として安住できる彼は挑戦したのか? だからこそ作品のテーマに魂がこもるのです。
中盤のライセンス認可でもめるシーン。具体的なセリフの文言は忘れましたが、そこでのロッキーの主張が好きです。自己責任でリスクを背負って挑戦しようとしている人間の心情を、あなたがたの保身で邪魔されたくはない、といった主旨のセリフ。私は好きでした。