「衝動殺人 息子よ」1979

kaoru11072007-06-09

シナリオライター山田太一氏のキャリアの原点が故木下恵介の助監督だったことは大切な事実です。

1998年12月30日に逝った木下恵介の葬儀にて、山田氏の弔辞より抜粋。

「日本の社会はある時期から、木下作品を自然に受けとめることができにくい世界に入ってしまったのではないでしょうか。しかし、人間の弱さ、その弱さがもつ美しさ、運命や宿命への畏怖、社会の理不尽に対する怒り、そうしたものにいつまでも日本人が無関心でいられるはずがありません。
ある時、木下作品の一作一作がみるみる燦然と輝き始め、今まで目を向けなかったことをいぶかしむような時代がきっとまた来ると思います・・・・・」


例えば、1954年(S29年)のキネマ旬報ベスト10の上位3作品の並びを見た若い方々は首を傾げることでしょう。
1位 「二十四の瞳」(木下恵介
2位 「女の園」(木下恵介
3位 「七人の侍」(黒澤明


ことほど左様に、昭和20年代後半から30年代初め頃、日本映画の全盛期における木下恵介作品への国民的共感度は極めて高かったのです。

しかし、戦争の痛みが時間経過と共に薄らぎ、経済高度成長による生活環境の変化は、常識的な道徳観をベースに庶民的な哀感と哀切を描き、その共感に素直に涙する姿勢を次第に疎んじ始めたのだろうと思います。そこに映画興行の斜陽化が重なり、日本映画は刺激的で暴力的で、論理的・合理的な強さに傾斜して行きました。
そして、冒頭の弔辞のような感覚に至っているのです。


松竹がようやく重い腰を上げて、木下作品のDVD化を本格的に行いました。
松竹という会社の体質は悠長というか鈍感というか、取り組みが10年以上遅いと言わざるを得ません。しかしながら、これでようやく往年の木下作品が手軽にレンタルできるようにもなった訳です。

木下惠介 DVD-BOX 第1集

木下惠介 DVD-BOX 第1集

国民的映画であった「二十四の瞳」。カンヌ・グランプリの今村昌平版を遙かに凌駕する「楢山節考」。膨大なエネルギーを投入して人間の営みとしての戦争の無常を描いた特異な時代劇「笛吹川」。戦慄するほどの戦後リアル・ホームドラマ「日本の悲劇」。儚く美しくピュアな初恋物語「野菊の如き君なりき」・・・。
天才的な語り口の面白さと描写の切れ味と、真に庶民的な哀しみに徹底して添うていこうというスタンスの明確さには、何度観ても感動します。


そうした木下作品の中から、比較的新しい作品として「衝動殺人 息子よ」を挙げたいと思います。

[

昭和41年、地道な職人肌の鉄工所の経営者川瀬周三(若山富三郎)には、真面目な二十六歳の一人息子武志(田中健)がいて、鉄工所の後を継いでくれることになっていた。近く、妻・雪枝(高峰秀子)の郷里から嫁も迎える話が決まっていた。そんなある晩、武志は夜道で見ず知らずの少年に刺殺される。犯人の動機は「むしゃくしゃしていたから、誰でもいいから殺そうと思った」だった。
息を引き取る寸前に「口惜しいよ・・・仇は討ってくれよ!」と言ってしがみついてきた息子に、「ああ、討ってやるとも」と応えた周三。しかし身柄を確保された犯人に私怨を晴らすことも叶わない周三夫婦に、裁判の判決が告げられる。「被告人を懲役5年以上10年以下に処す」。「こんな馬鹿な!」と絶叫した周三は、無学な人間なりに法律の不条理を猛勉強する。そして、こうした故なき犯罪における被害者遺族への配慮は法的に全く無いに等しいことを理解した周三は、「犯罪被害者補償制度」という法律を作ってもらうよう国会に働きかけることを誓う。生涯の城だった工場を売却した資金で全国行脚を続け、同じ境遇の遺族との連帯を図る周三の努力は、決して順風満帆なものではなかったが、何年にも渡る苦闘が実り始めていった。しかし、法律の成立を待たず周三は過労で倒れ、この世を去った。そのラストシーンにかぶさる字幕。
「昭和54年6月、政府は最高860万円までを支給する基本案をまとめた。しかし、この法案は過去にさかのぼるものではないし、まだ国会に上程されていない。」


この物語は実話であり、周三のモデルとなった市瀬朝一さんをはじめとする犯罪被害者遺族の方々の苦闘を記した佐藤秀郎氏の原作ノンフィクションに基づいています。
ご存知の通り、映画公開の翌年、「犯罪被害者等給付金支給法」は制定され56年から施行されています。そしてこの映画の存在が、法案成立に何らかの役割を果たしたのも間違いのない事実でした。


不可解な少年犯罪が社会不安として明確に浮上してきた近年、この犯罪被害の問題、いわれのない犯罪で傷つき命を失った側の人権について、ようやくマスコミも語ることが常識化してきました。勿論それでも、専門性の領域においては加害者の人権擁護こそが本流であるという構造は何ら変わっていませんが。


しかし、1979年当時、この視点で劇場映画を作り上げ、かつヒットさせ得た映画作家が他にいたでしょうか?


この映画は、徹底して犯罪被害者側のドラマにこだわります。世の中のしくみや法律や進歩的と言われる立場の人間がみな加害者側に軸足を置くのであれば、せめてこの映画は最初から最後まで、理不尽に踏みにじられた者の立場に添うていこうとします。社会人としての良識と善意、そこから当然浮かび上がるまっとうな怒りと悲しみをこそ大事にしようという揺るぎない明確な意志です。

このとき作家人生のピークは過ぎていましたが、この事実は凄いと、最近改めて思っています。


このように記すと、お堅いだけの社会派問題提起映画と思われるかもしれませんが、とんでもない。松竹大船調と呼ばれる庶民的ホームドラマの練達の腕前は、胸に迫る親子愛、夫婦愛の物語として十分以上の質感であり、充実したキャスティングと共に、幅広い世代が観て満足できる娯楽性すら備わっているのです。

例えば、東映やくざ映画の重厚で粗暴な脇役のイメージが固定化していた故若山富三郎の主役抜擢は、当時誰もが驚きました。しかし、完成作を観るとまさに適役。若山氏本人にとっても生涯最高の演技のひとつであり、その年の国内映画賞の主演男優賞を独占する結果となりました。


天才監督 木下惠介

天才監督 木下惠介

この映画の撮影時、何かに寄稿した木下監督の言葉。

“この悲惨な事実に激しい怒りを覚えるのは、現代社会に、善を信じ、自分もまた善たらんとして生きる総ての人のものだと思う。私はこの作品を映画にしたいと思ったとき、「善人の戦い」「真人間の怒り」「善人は血の涙を流す」等の言葉が浮かんだ・・・”


映画やTVドラマという商業芸術は、否応もなく社会の大衆の感覚に何らかの影響を与えていく存在だと思います。
その創作姿勢において、こうした社会正義に基づく良識を矜持として持ち続けている作家は、現在どの程度いるものなのでしょうか。


私は、黒澤も小津も溝口も成瀬も大好きですが、負けず劣らず木下作品を評価し愛着を抱いています。より多くの方々、特に若い世代に、木下作品の凄さを受け継いで欲しいと思います。