「英霊たちの応援歌 最後の早慶戦」1979

kaoru11072007-07-12

ドライでスタイリッシュな表現と、戦争体験へのこだわりを貫いた孤高の個性派:岡本喜八監督作品。
作品群の中では比較的地味な存在ですが、リアルタイムで接した経験から私的には大事な映画です。

某王子の存在で、ここ40年くらいの間で最高の盛り上がりを見せる神宮・大学野球リーグですが、昭和18年からの数年間、球音が途絶えた歴史を知る人も少なくなっています。

この作品は、早大野球部の面々を中心に、学徒出陣に散っていった当時の大学体育会選手たちの群像を追ったノンフィクションの映画化でした。

1979年当時はTV局が映画制作に参画し始めた頃で、本作も東京12チャンネル(現テレビ東京)のスポンサードです。とはいえ潤沢な予算はなかったのでしょう、映画としては地味な展開です。
戦場のシーンはすべて記録フィルムによるものですし、前半のクライマックスのひとつである学徒出陣壮行の“最後の早慶戦”自体の試合シーンは省かれています。

そう聞くと見応えがないように思われるかもしれませんが、そんなことはありません。
学生スポーツに打ち込みながらも“22〜23歳”を己の寿命と思いながら大学生活を過ごした青年たちの、切な想いがすべてのシーンから溢れています。
センチメンタルに過ぎると思われる向きもあるでしょうが、死期を意識せざるをえない青年の気分はセンチメンタル以外の何物でもありません。つまりはリアルということです。

特攻機に乗った学徒らの生命の消滅を、直接の戦闘描写でなく通信機の針の振れのみで描く切なさは、あの時代を生きて散っていった者への深い共感がなければ不可能なものだと思います。

英霊たちの応援歌 最後の早慶戦 [DVD]

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太平洋戦争の戦局が最悪となりつつあった昭和18年、東京6大学リーグは中止となり、明治・法政野球部は解散。早大・慶大野球部は存続していても試合すらままならない。
やがて文系学生の徴兵免除が撤廃され、本格的な学徒出陣が始まります。
そこに至って遂に、早大グランドであった戸塚球場(その後安部球場に名称変更、現在はなくなっている)において、最後の早慶戦が一試合のみ行われたのでした。

本作は、当時の実在の学生名をそのまま役名とし、学徒出陣による促成の錬兵から特攻による散華を丁寧に描き出していきます。
その描写の淡々として何と切ないことか。
昨年公開された「出口のない海」は、本作のモチーフを継承し人間魚雷「回天」に結び付けていましたが、オリジナルはこっちです。

後半に印象的なエピソードがあります。

鹿児島国分基地に集合した特攻部隊の面々は、宿舎として小学校の教室をあてがわれます。
教室の後ろには、先に散っていった学徒たちの位牌が並んでいます。振り向くと、そこには慶應の学徒たちが書き記したのでしょう、当時の銀座の商店地図が黒板いっぱいにチョークで書いてあります。
出陣までに思い出せなかったのか、ところどころ不明のままの空白があります。
黒板に飛びついて、あいた部分を何とか埋めようと思案する慶大生たち・・・。

このシーンは監督によるフィクションでしたが、凡百の反戦メッセージに勝る訴求力があります。
これこそ青春の断裂の痛みであり、近代戦争という巨大な暴力への真実の怒りです。

岡本監督は、その作品群の殆どを戦争体験に基づいて染め上げた稀有な映画人でした。
「肉弾」「独立愚連隊」「血と砂」「日本のいちばん長い日」・・・。
そんな作品群の中で、私が都内の大学生活を始めたその年に安部球場にロケした本作は、どうしても忘れることのできないメモリアルでもあるのでした。