「二百三高地」1980

kaoru11072007-07-14


途方も無い消耗戦で多数の戦死者を出した、日露戦争における旅順攻略を描く東映の超大作。公開当時、さだまさしの主題歌「防人の唄」と共に大ヒットしました。
しかし動員の中心は中高年層以上であり、自分ら若い世代はあまり関心を持たなかった記憶があります。

マスコミでの取り上げられ方は概ね“時代錯誤的な軍国主義復活映画”という感覚でした。翌年の東宝作品「連合艦隊」、翌々年の「大日本帝国」と共に、こういう映画を製作するとは時代の逆行を意図するものではないか、とか、結構進歩的な方々が危機感を持って発言していました。


ただ、そんな表面的な考察しかしない人たちって、作品そのものを観てない事が殆どなんですよね。
例えば深作欣二が「バトルロワイヤル」(2000年)を映画化した時、子どもに悪影響があるから見せるなと政治家が騒いだことがありましたが、あの時も騒いだ本人たちは観てなかったりしました。底の浅いステロタイプ思考の人ほど声が大きいので困ります。


この映画も好戦的映画のレッテルを貼られましたがとんでもない。冷静に冷徹に、日露戦争の陸戦最大のエピソード“旅順攻略”を公正に描き出しています。
本作と東宝の「日本海大海戦」(1969)を観て、司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読めば、日露戦争という近代日本が直面した危機を日本人がどのように乗り越えたのかを短時間で把握できると思います。

それほどに、本作の描写は史実データを踏まえています。これだけ精緻な作業を3時間の上映時間分だけシナリオ化するのは至難の業だと思います。
脚本は、「仁義なき戦い」で有名な故笠原和夫氏。凄い手腕だと敬服します。


昭和の劇―映画脚本家・笠原和夫

昭和の劇―映画脚本家・笠原和夫


笠原氏の仕事は、頭の中だけでイメージするのでなく、徹底的に事実データを集積し分解した上でドラマの時間軸に再構築していく手法です。
仁義なき戦い」では広島やくざの抗争の大小様々なエピソードを現地取材を重ねて構成していますし、本作や「大日本帝国」(1982)では明治から昭和の政財界から庶民事件史レベルまで克明に事実検証して脚本化しています。

作者の勝手な思い込みや浅薄なイデオロギーで人物設定したりシーンを描いたりはしません。だから、戦場シーンの細かなエピソードの大半は、実際の記録か当事者の証言に類似のものがある事で構成されているのです。
その作業量と緻密な思考力は、私の想像を超えています。実際、「二百三高地」を書き上げた直後に、笠原氏は胃を切除しています。


本作の物語は、列強の植民地政策に飲み込まれることを避け独立国としての存亡を賭けてロシアとの開戦に踏み切った政界・皇室・軍令部の動きを大枠として、旅順攻撃部隊に組み込まれた金沢の分隊の庶民兵の辛酸を丁寧に盛り込んで形作られています。大枠での主人公は仲代達矢演ずる乃木希典ですが、現場の狂言回しとしてあおい輝彦演ずる古賀少尉を配します。
この古賀は架空の人物ですが、戦場に赴く前はトルストイを敬愛する親露派文化人として描かれます。そんな彼も、地獄のような戦場で部下を次々に失う中、戦争の狂気に犯されていきます。博愛的な精神論や主義が、現実に突きつけられる非情と悲惨の中ではいかに無力であるかを痛感し、精神のバランスを壊していくのです。
本作の凄さは、そんな古賀の狂気をも、まっとうな人間の感情のあり様として共感してみせるところにありました。


映画後半のクライマックス、疲労困憊した古賀が捕虜となったロシア将校への尋問を通訳しているうちに逆上し、射殺しようとして上官たちに取り押さえられます。軍規違反を責められる中で、涙目で反抗する古賀の台詞。
「最前線の兵には体面も規約もありません。あるのは生きるか死ぬか、それだけです。兵には、死んでいく兵たちには、国家も軍司令官も命令も軍規も、そんなものは一切無縁です! ただ灼熱地獄の底で鬼となって焼かれていく苦痛と恐怖があるだけです。その苦痛を、部下たちの苦痛を、乃木式の軍人精神で救えますか!?」
「(乃木)閣下もご子息を亡くされてるんだぞ!」
「当然であります。前線に立つ者が死ぬ運命にあるのは当然だと申し上げているのです! それなのに、部下やご令息を死地に駆り立てながら、敵兵に対して人道を守れと命ずる軍司令官のお考えは、自分には理解できません!」

そこに居合わせる乃木大将。二人はそれ以上の言葉もなく互いの目を見詰め合う・・・。
本作のテーマを濃縮したもの凄いシーン。一体どこが、好戦的映画なのか、教えて欲しいものです。


二百三高地【DVD】

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学校の社会科では殆ど教わることのないのが日本の近現代史です。
明治維新は教えても、それ以降はまずやりません。教科書問題とかイデオロギーの呪縛によって誰も触らないことになっています。
しかし、この日露戦争という、近代国家となった日本が初めて総力で自らの運命を動かした史実を次代にきちんと教えていかないことは大問題だと思います。

司馬遼太郎の小説群でもこの映画でも、乃木大将は軍人として無能であることが明記されています。しかし、時代は、大衆は彼を軍神と扱います。それだけの人格者でもあったのでしょう。
本作でも、事態を打開できない乃木に代わって、児玉源太郎が臨時の指揮をとって一気に二百三高地を攻略してしまいますが、表面的には乃木を立て児玉の貢献は影に秘す明治天皇の判断が描かれています。それは日本的な和の精神であり美徳である反面、冷徹な合理性が必要な場面にも曖昧な精神性に基づく判断が優先する風土の醸成を招いたのではないかと思うのです。

このことは、その後の日本の悲劇にとって重要な意味を持っていたはずです。
日露戦争時はまだ合理性による冷静な軍事作戦が存在していましたが、その成功体験ゆえに、精神性による合理性の軽視が強化されてしまい、その後の太平洋戦争において無謀な消耗戦の拡大再生産を生み出し、日本と日本人を崩壊の淵にまで持っていく一因になったと認識しています。


本当はこんなことを、学校の歴史では勉強し検討してもらいたいのですが、勝ち戦の話をするだけで軍国主義者呼ばわりされる状況では如何ともしがたいです。
私が学校で教わり、進歩的といわれる新聞で学んだ日本の近現代史は、とにかく昭和20年の敗戦までは邪悪で暗黒の時代であり、海外の国民に悪いことばかりしてきたので、お詫びして軍事力を持たないようにすることが大事なのだ、ということだけでした。どう考えても変です。

せめて笠原和夫氏のような真のリアリストに、日本史を教わりたかったものです。