「かくも長き不在」1961

kaoru11072007-07-26

DVD化されていないためVHSを探していました。ようやく渋谷Q-FRONTでレンタル。
これほどの傑作がディスク化されていないとは・・・。

旧いテープの荒れた画像。しかし、私の生涯の10指に確実に入る凄い作品でした。
淡々とした中年男女二人だけの演技と会話だけの描写でありながら、鳥肌の立つ戦慄と胸に迫る哀切。
カンヌのグランプリは当然でしょう。そんな賞の有無を超越した永遠の価値を有しています。


マルグリット・デュラスによるシナリオを、フィルム編集の第一人者であったアンリ・コルビが初監督。戦争の過酷に巻き込まれた男女の始まらない戦後を演じたアリダ・ヴァリとジョルジュ・ウィルソン。突出することなくテーマを支えきる音楽はジョルジュ・ドルリュー
抑制された描写の淡々とした積み重ねが、いつしか深みと厚みを感じさせていくフランス映画らしい品格溢れる作品です。

戦闘場面も残虐なシーンもありません。愛を囁く場面も恋を語る場面もない。スペクタクルも凝った描写もない。それでも男女の恋情の切なさと絶望が胸に迫ります。第二次大戦のヨーロッパ、ホロコーストの悪夢という人間が歴史上行い得た最悪の行動のいくつかがもたらす残酷が、観るものの全身を撃ち抜きます。

かくも長き不在 (ちくま文庫)

かくも長き不在 (ちくま文庫)


戦後16年目の夏。パリの片隅で小さなカフェ「古い教会」を独りで営むテレーズ。そろそろ一緒になろうかと思い始めた恋人とバカンスに出かけようとする彼女の店の前を、毎日決まった時刻に通り過ぎる浮浪者が居た。
古いオペラを口ずさみながら歩くその浮浪者の顔を見たテレーズは凍りつく。17年前、ナチスによって収容所に連行され行方知れずになっていた夫アルベールにそっくりだったのだ。

バカンスをとりやめ彼をずっと見守るテレーズ。夫に違いないはずなのに距離が縮まない。何故なら男は記憶をなくしていたのだ。歳をとり過去の記憶を失いゴミを漁って日々の暮らしを立てているこの男は、きっとあの愛する夫そのものだと信じるテレーズ。少しずつ話しかけ、ある晩自分の店での夕食を誘う。

懐かしいレコード。好きだったはずのチーズの味わい。記憶のない男の五感に微かに残っている過去の生活の残滓。
でも、それ以上の記憶は蘇らない。想い出して欲しいと強く訴えるテレーズを見つめる彼の目には、親切な他人に対する感謝以上の熱はこもらない。

もう一歩だけ距離を埋めたいテレーズは、再びレコードをかける。「三つの小さな音符」のメロディーとリズムに合わせて店内のフロアで静かにダンスを踊る二人。男の身体にはステップの記憶は刻まれていたようだ・・・。
そして、衝撃のシーンが静かに訪れる・・・。



少ない登場人物で舞台を限定した静かな描写。舞台劇にしても構わないような物語展開と思って画面を見つめていますが、この静かなクライマックスは映画ならではのもの。これぞ映画の感動です。こんなに静かに、こんなに直接的な表現なく、人間の残酷さを告発する創作はめったにあるものではありません。

衝撃のダンスシーンをはさんで、ヒロインは同じ台詞でかつての夫の記憶を呼び戻そうとします。
でも、そのシーンの存在は、二つの台詞の意味合いをまったく違うものにしてしまいます。その創作の凄さと深さ、人生の不条理の真実に圧倒されてしまいました。


淀川長治氏がスピルバーグの「シンドラーのリスト」をあざとい創作として断じた時、「かくも長き不在」を引き合いに出したそうです。
あの時代にヨーロッパで起きた悪夢は多くの人間の人生を蝕んでしまったという事実と真実を、芸術として文芸として静かに提示してくれた、志の高い創作なのだと思います。