「スターリングラード」2001

kaoru11072007-08-12

第2次大戦の悲惨なる激戦として名高いスターリングラード(現ボルゴグラード)の攻防戦をモチーフにジャン・ジャック・アノーが描いたユニークな視点の戦争映画。

日本と日本人は、太平洋戦線と中国戦線、沖縄戦被爆を含めた本土空襲の悲惨の体験があまりに苛烈で辛酸を極めたために、同時代の欧州における悲劇に想像を及ぼす余裕がありませんでした。
しかし、わずか60年程前に近代文明と科学力を身につけた人類が、他民族の殺戮に膨大なエネルギーを費やした事実は、洋の東西を問わず次代の人間が認知しておくべき負の教養だと思います。

第2次大戦の欧州で最大の戦死者を出したのはソ連(現ロシア)だったという事実は、あまり日本人の常識にはなっていないと思います。日独伊三国同盟を結び西部戦線支配下においたナチス・ドイツソ連へと侵攻します。一方、共産主義革命により国家体制を固めたソ連は、スターリンの強力な指揮下で徹底した国防ラインを敷きました。
かくて、1941年から43年にかけての欧州東部戦線は、ヒトラースターリンという強烈な2人の独裁者の威信の衝突の舞台となったのです。

加えて悲劇的だったのは、ナチスにおける民族差別的な殺戮の大義ユダヤ民族の次に劣等なのはスラブ民族!)と、個々の人格を無視して手駒のように消費する共産主義独裁の非人間性が基調をなしてしまったこと。
娯楽映画のモチーフとしてはあまりに悲惨だったのでしょう、東部戦線を描いた劇映画は本当に少ないのです。例えば伊映画の名作「ひまわり」は東部戦線ネタですが、直接的な戦場映画ではありません。

あまりに長い前置きになってしまいました。そんな東部戦線最大の激戦がまさにスターリングラード攻防戦で、その戦場の悲劇の再現は1993年独米合作の「スターリングラード」という同名映画がありました。
同じ戦闘をモチーフにして2001年に公開されたこの新たな「スターリングラード」は、やや趣きが異なっています。激烈な攻防戦全体を視野に入れるのではなく、ソ連側の不利な戦局打開のキーマンとなった若き狙撃手ヴァシリ(ジュード・ロウ)の活躍と苦悩を主軸に据えて、彼の目と行動を通してあの戦闘を追体験しようとする作品になっていました。

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従って、ややヒーロー物語的な構造を持っていますが、その置かれた環境の異常性や、彼を中心に交錯する人間模様が十分に負のリアリズムを有していますので、安易な甘さなどはありません。舞台はソ連側に固定されてはいるものの、スターリニズムの異常性への批判も込められていて、バランス感覚と作者の良心は貫かれていると思います。そして何より、この旧ソ連の英雄的スナイパー:ヴァシリは、実在の人物だったそうです(勿論、物語はフィクションが大半でしょうが)。

全台詞が英語なのが玉にキズですが、貧しい羊飼いから国難を救う狙撃手として国策に翻弄されるヴァシリの青春の高揚と痛みを、ジュード・ロウが好演。彼に対抗すべくドイツ本国がスターリングラードに送り込んだ敵方の名狙撃手をエド・ハリスがこれまた痺れるような演技で存在感を示します。作品のスケール感のわりに派手なスターはキャストされておらず、それが抑制的なリアリティともなって、作品世界を支えていると思います。

ジュード・ロウエド・ハリスのスナイプ合戦が、後半の見せ場になっている訳ですが、この緊張感ある演出はなかなかのもの。まさに静的なアクションです。洋画の戦争アクションというとどうしても弾薬の物量に任せた戦闘シーンが多いのですが、本作は超一流の技量を持つ者同士の心理戦の趣があり、あたかも日本の時代劇を見ているかのようです。

そういう主人公達のアクションが静ならば、動のアクションは、スターリングラード攻防戦の現実という背景描写として強い印象を残します。
何と言っても冒頭の20分間。主人公が戦場に駆り出され、無我夢中で駆け抜ける街の描写のもの凄さ。一体どのような戦闘を重ねればこのような廃墟は作り出せるのか? その絶望的な画の力があります。
そして、その廃墟に押し出されるソ連の若者達。敵の弾丸の雨に撃ち抜かれた彼らの何割かが生き残るべく敗走する正面から、共産党本部の人間による敵前逃亡防止の弾丸が降り注ぐ狂気。
東部戦線の悲劇の末端を感じさせてくれる描写がありました。

そうした戦場の中、主人公ヴァシリの恋をめぐる党幹部との三角関係のドラマもあって、2時間半の長尺も飽きさせることはありません。ラストの微かな救いも、私にはよかったと思います。

夏場はどうしても戦争映画を語りがちになってしまいます。もう少し観るものの幅を広げる必要があるかもしれませんね。