「連合艦隊」1981

日本人にとって8月はやはり特別な月であり、戦争と戦場を描く映画に対する想いを新たにするのは、私自身が太平洋戦争敗戦から16年しか経過していない時に出生した子どもであったことによるのでしょう。
最近では、60年前には米国や中国と戦争をしていたのだという事実を、まず語ってから話をしなければならない世代が随分増えても来ています。戦後民主主義の子どもであり「新人類」と呼ばれた自分たちも、どちらかといえば戦中世代の方々に近いメンタリティとなりつつあります。まさに時の流れは無常です。

1981年8月に公開された本作は、太平洋戦争開戦当時世界有数の威容を誇った旧日本海軍連合艦隊が、開戦からの5年間で壊滅に至った経緯を、海軍に従軍した青年たちとその家族の視点から捉えた映画でした。この年に公開された邦画としては最高の興行成績を残しています。

監督は松林宗恵。脚本は須崎勝弥。実際に従軍の経験があったお二人の手によって描かれた本作は、連合艦隊の悲劇を叙事的に捉えて太平洋戦線をダイジェスト的に描いてみせるという興行価値側面の裏側に、当時の一市民にとっての従軍という市井の観点を一貫させながら、60年程前の日本の民衆の悲劇として、あの戦争の実相のひとつを描こうとした意志があったと思われます。

ドラマとしての完成度については決して絶賛はしません。こうした戦局を俯瞰的に描いていく作品の場合、どうしても軍幹部の関わりが史実に基づいて淡々と語られざるを得ませんし、本作は5年間の戦局を2時間でまとめていますので、そうした部分が目立ちやすいです。しかも、主人公を若い兵士(永島敏行、金田賢一中井貴一)とその家族(森繁久弥財津一郎、古手川裕子)という一市民レベルに置いているため、そうした戦史記述的な展開との分離が生じざるを得ません。加えて、バジェットと技術的な制限から、特撮場面には旧作やニュース映像からの流用が行われており画調の統一を損なってもいます。

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しかし、それでも、本作は太平洋戦線の艦隊戦闘を描いた戦争映画の集大成的な出来栄えであり、そこに参加して散華した人々が当時抱えたであろう葛藤と心意気と絶望と痛みに対して、誠意を持って描き出そうという“志”が貫かれていると感じます。公開当時日本の右傾化を象徴する映画と報道されたように、表面的には反戦映画のプラカードなど掲げてはいませんが、本作は紛れもなく戦争という人類の業がもたらす悲劇とその無常を、きちんとわかりやすく見せてくれます。

印象に残るいくつかのシーンがあります。
戦死した本郷英一(永島敏行)は婚約者陽子(古手川祐子)を弟眞二(金田賢一)に託そうとしていた。秋の宮島で、眞二と陽子は葛藤の末結婚を決意するのだが、その宮島の境内で二人が再会するショットの叙情豊かなこと。長い廊下を歩く眞二の姿が一瞬英一に見えてしまう陽子の主観カメラ。赤い柱の間で現実と幻想のモーションスピードを変えて編集した数秒間が、一切の台詞を抜きに切ない心情を伝えます。
大和が沖縄特攻に出撃した直後、軍令部の一室で総長に噛み付く小沢治三郎司令長官(丹波哲郎)の台詞。「そもそもこの戦争はあなたの『やむを得ない』のひと言から始まった。そして今度も『やむを得ない』で終わりますか」
沈み行く大和艦内。砲塔の引火を防ぐ注水ハッチを開けるため、決死の思いでその実務を遂行する小田切武市曹長財津一郎)。その共感を呼ぶ熱演と、艦内の絶望的な光景。
そんな大和の撃沈を上空を旋回して見守る特攻機。操縦桿を握る武市の息子正人(中井貴一)。ほんの半日だけ、自分が長生きしていることをもって親孝行と認識すると呟き、改めて出陣するラストシーン。その一連のカットのつながりにかぶさる谷村新司の『群青』。そこからエンドロールまでの哀しさと美しさは、声高な反戦スローガンに勝るイメージの提示だと思いました。

松林監督は、昭和30年代の東宝映画の興行において主力商品となる作品群を沢山担った作家のひとりです。その流れのひとつは“社長シリーズ”のような楽しく気軽に鑑賞できるコメディを職人的な手際で安定的に提供してくれたものであり、もうひとつの流れが、本作のような主に旧日本海軍に材をとった戦争・戦場映画の系譜です。「人間魚雷回天」1955、「潜水艦イ-57降伏せず」1959、「太平洋の嵐」1960、「太平洋の翼」1963、そして趣の異なる異色の近未来映画「世界大戦争」1961。これらはいずれも、特殊撮影への多額の予算配分を前提とした大作として製作されたもので、それ相応の興行成果が期待されたものばかりです。

さて、そんな作品をリリースをしようとする映画会社の経営者は、こうした作品を誰に任せようとするでしょうか?
実は戦後の日本映画の批評において、この視点が完全に軽んじられていました。そのことは映画産業にとって大きな損失につながったと私は思っています。このような高バジェット作品で確実なヒットにつなげ、同時に現実の戦争被害の当事者からクレームをつけられることなく、芸術的文芸的にも標準以上の質感は保って欲しい・・・。当時のプロデューサーのそんな期待に応えられる映画監督は、間違いなく会社のエース級のスタッフであったはずです。広く大衆にB2Cサービスとして商品を作って販売する企業において、ごく当たり前の話です。社会常識です。

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大衆娯楽文化として現在より多くのニーズが寄せられた当時の映画産業において、主力商品として提供され続けた映画作品群とその作家たちの存在を、企業のメインストリームを支えた功績者としてでなく“B級プログラムピクチャー”として軽んじた映画ジャーナリズムには、明らかに常識的なビジネス感覚が欠落していたと言わざるを得ません。

話が脇にそれましたが、そうした作品群を生み出し続けた松林監督の戦争映画には、常に一貫した“志”が存在しています。それはある種の“インテグリティ”すなわち“一貫した誠実な姿勢”と呼べるようなものです。
戦後の日本映画興行の全盛期に、大学教授から無学な日雇い労働者まで幅広い観客に楽しんでもらう娯楽映画の創り手として、常にわかりやすい語り口と美しい映像で物語を提供しようという誠実。
現実の従軍経験も含めて、あの大戦において民族レベルで体験した悲惨と辛酸と苦痛と、その中にもあった信念や信頼や希望や愛情の総てに対する真摯な姿勢を一貫させるという誠実。
そして、実際に仏門にあり僧侶でもあるというバックボーンに根ざしているのでしょう、この世の葛藤に対する突き放した客観的視点があること。例えば戦争映画においても、国家間の対立関係やその善悪の問題、軍隊幹部と一兵士との責任問題、といった所謂イデオロギー的な視点には潔いほど拘泥せず(そのことが評価されづらい国情なのですが)、個人の努力では如何ともしがたい事態がこの世には存在するのだ、という無常観を一貫させるという誠実。

それが、松林作品における映画作家の矜持であり志であり、映画作法だったのだと思います。
だからこそ、当時の東宝幹部は、こうした作品群を松林・円谷コンビに託し続けたのではないでしょうか。

例えば、「太平洋の嵐」の戦闘シーンに前代未聞のワンシーンが登場します。ミッドウエー海戦で沈む空母飛竜の操舵室。身体を縛り付けたまま沈んで絶命した山口司令官(三船敏郎)と加来艦長(田崎潤)が海底で言葉を交わします。“太平洋にこんな墓場がいくつも生まれるんでしょうね(そうしたくはないが・・・)”と。リアリズムこそ命であるような戦闘シーンにおいて、亡霊の会話を挟み込んだ演出は古今東西の映画で殆ど例を見ません。これが、松林流反戦映画なのです。

そして、「世界大戦争」という第三次世界大戦による人類の滅亡という巨視的な物語を、あくまで一庶民のお茶の間から眺めようとする姿勢です。個人にとって大きすぎる問題が降りかかった時の心情にきちんと寄り添ってあげようとする姿勢。その静かな誠意が、大きな厭戦の想いとなって拡散していく、そんなものを私は感じています。

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