「白バラの祈り」2005


奇しくも前頁の「わが命つきるとも」の相似形のようなドラマです。16世紀における英国のトマス・モアと全く同じに、1943年2月のドイツ・ミュンヘンで若干21歳の女子大生ゾフィー・ショルが断頭台に消えた事実を正確に再現した映画。鳥肌が立ちました。恐ろしさにではなく、人間の信念と良心はそれ自体で暗闇にも光を放つものだという真実にです。

写真はすべて(C)Jurgen Olczyk

1943年2月、“白バラ”のビラを大学構内で撒いたハンスとゾフィー(ユリア・イェンチ)の兄妹は現場で逮捕される。そのまま警察に留置されたゾフィーは取調官モーア(アレクサンダー・ヘルト)の執拗な尋問を受ける。活動の事実は認めざるを得なくなるものの、高圧的な尋問にも怯むことなく自身の信念を述べ、友人を庇うゾフィー。3日間の取調べが終わるや4日目には起訴状が届き、裁判は翌日とされる。兄と共におよそ民主的とはいえない人民法廷で裁かれる彼女は、その理不尽な司法官らの前でも毅然として己を曲げなかった。そして無情にも反逆罪の有罪が宣せられる・・・。

白バラの祈り -ゾフィー・ショル、最期の日々- [DVD]

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ナチス政権末期の1942年から43年にかけて、ミュンヘン大学の学生たちが行った反政府活動“白バラ”のことを、不見識にも最近まで私は認識していませんでした。正直なところこの映画で知った訳です。反政府活動といっても、ヒトラー批判とサボタージュ煽動を記したビラの印刷と配布、反戦スローガンの落書きといった平和的抵抗であり、学生らしいものだと思います。実際、ゾフィーとその兄ハンスを中心に、ハンスの友人達と一部の大学教授が“白バラ”の構成員であり、時の為政者が慌てるほどの強力な運動とは考えにくいです。
それでも、ナチスは彼らを怖れたと思われます。1943年初頭は、多大な犠牲を払ったスターリングラードの戦闘でソ連が勝利し、ヒトラーの野望が挫けていくタイミングです。人心が水面下では離反しかけている状況は当時の為政者たちにも十分伝わっていたでしょう。ゾフィーたちが逮捕され処刑されるまでの期間はたったの5日間です。ささやかな学生運動、それも何ら組織的背景のない兄妹学生に対して、一瞬の猶予も与えずに国家反逆罪で抹殺したのです。ナチス政府の焦りが伝わってくるようです。

“白バラ”の物語は、当然戦後ドイツではポピュラーなものですし、1982年の独映画「白バラは死なず」が日本でも公開されています(未見)。ただ、本作は、当時の詳しい尋問記録等が最近発見されたため、より詳細な事実確認を踏まえて新たに作劇したものとのことです。監督のマルク・ローテムントはよく知りませんが、新鋭監督ということですので我々のような戦後世代でしょう。自国の歴史を正確に見据えた上で、当時も現代も普遍であろう人間の魂のあり方を誠実に浮き彫りにしていると思います。表現に余計な飾り付けや、現代目線での陳腐なイデオロギー批判はそぎ落とされています。シンプルで力強く、そして誠実な映画でした。

そして、何よりヒロインを演じたユリア・イェンチの演技。その見事なこと。実在したゾフィーを彼女がどう演じるかが本作のすべてを握っている訳で、上映時間120分の半分近くが彼女のバストショットとクロースアップだったのではないでしょうか。21歳の女性としての幼さも怯えも、信念と良心を貫く若さゆえの向こう見ずな強さも、その緊張した表情と強固な光を宿した眼差しで、演技者として最高の仕事をフィルムに残しています。ベルリン国際映画祭の最優秀主演女優賞は当然だと思えます。

映画の中盤は、殆どゾフィーに対する取調官モーアの尋問シーンに費やされます。
警察の正義として反逆罪を問い詰めていくモーアに対して、勝利がないことを知りながら、精神の敗北だけは断じてしないと決意するゾフィーの抗弁。暗い取調室からカメラは一歩も出ず、音楽も使わず、おそらく尋問記録に基づいて記されたはずの彼女の台詞に、女優ユリアの魂が込められることで、とてつもない迫力と見応えと感動がありました。勿論ゾフィーは超人ではなく普通の女の子です。トイレの中で、独房の中で、彼女は何度も悲鳴を上げ震えています。それでも、ヒトラーとその追従者たちに相対する限り、顔を上げ続けるのです。尋問記録に残された彼女の言葉は、凡百の評論や演説よりも遙かに胸を打ちます。
対するモーアもナチス政権による内政の成果を、自らの人生経験に基づいて語り、ゾフィーたち裕福な階層の学生こそがその恩恵を最も享受しているではないかと主張します。これはまた確かに当時の見識のひとつであり、唸らされる尋問です。その点で守勢に回るゾフィーは、遂にホロコーストの噂を持ち出して行きます。このロジックの攻防は、それが事実としての発言録であるだけに、凄い迫力です。そしてモーアを演じたアレクサンダー・ヘルトの名演は、尋問の終盤に明らかにゾフィーに何らかの共感を覚えた精神を見せてくれています。台詞の字面だけではない、これも演技の魅力として大いに感動を呼びます。この長い尋問シーンは圧巻でした。まいりました。

「白バラ」尋問調書―『白バラの祈り』資料集

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面白い映画でもなく、楽しい映画でもありません。しかし、大事な映画です。私は感動しました。
ゾフィー・ショルと私の年齢差は丁度40年です。彼女が生存していたならば、私が21歳の時に61歳だった訳です。そのことに何の意味もありませんが、21歳当時の私は、彼女の示した精神の勝利に対して恥ずかしい生き方をしてはいなかっただろうか? ふとそんなことも思ったのでした。

白バラの祈り―ゾフィー・ショル、最期の日々 オリジナル・シナリオ

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