「それぞれの秋」1973/9/6 〜 1973/12/13

kaoru11072007-09-15

TVドラマへの思い入れを失ってからどれくらいになるでしょう。
映画の歴史は110年。TVドラマのそれは50年。それぞれのメディアがその青春期を終え、成熟に向かいつつあります。技術進歩がパーソナルな鑑賞機会(属性別に細分化した視聴)を増幅させ、TVドラマはコマーシャリズムとしての主機能を先鋭化し、文芸的な振れ幅はほぼ消滅しました。今の日本の消費社会は10代〜20代女性の消費意欲の増進が原動力ですので、TVドラマ創作もそこに集中。結果コミック文化に寄り添っています。ビジネスとしては評価しますが鑑賞意欲は湧きません。

日本のTVドラマの青春期を、私は勝手に1970年代〜80年代はじめまでと認識しています。所謂バブル期に“トレンディドラマ”が浮上することでTVドラマは己の商業性を自覚するのですが、それ以前、その日限りの放映の一回性に委ねた同時代性重視の文芸・芸術として、試行錯誤を繰り返していた時期のTVドラマこそ、メディアの青春と呼ぶに相応しいと思います。そして、その青春期を支えた何人かのシナリオライターとして、私は倉本聰向田邦子山田太一市川森一らを挙げたいと思います。

「それぞれの秋」は1973年にTBS系で“木下恵介アワー”として放映された15話の連続ドラマでした。当時新鋭の山田太一のオリジナルシナリオ。中学2年だった私はその描写に心を揺らされ、メディアを問わずドラマというものの存在に捉われていく明らかなきっかけになりました。

概ね以下のようなストーリー。
昭和48年。都市郊外の一戸建てに住む新島家のホームドラマ。50歳を迎えた真面目な中間管理職の清一(小林桂樹)、専業主婦の麗子(久我美子)には3人の子どもがいた。やり手の若手セールスマンの長男:茂(林隆三)、弱くて頼りないが気の優しい大学生の次男:稔(小倉一郎)、日常の閉塞感に悩み始めた高校生の長女:陽子(高沢順子)。ドラマは稔の主観に添って、この平凡な一家の数ヵ月間を描き出す。

失恋の傷心からはずみで痴漢行為をしてしまった稔は、相手が所謂スケバン(桃井かおり)だったために逆襲され、あろうことか逆に惚れられてしまい交際を強要される。しかもそのグループには妹陽子が加わっていた。妹の意外な一面を知った稔は、陽子の不良化を止めようと画策するがうまくいかない。しかも陽子は家庭内でそんなことはまったく匂わせない。痴漢の汚名ゆえに家庭内で何も言えない稔のストレスは高まる。

そんな中、上司の女性問題の解決を請け負って失敗した父清二は多額の借金を抱えてしまったことが発覚する。妹の件で、家族がそれぞれ秘密や事情を抱えて黙っている感覚に違和感を覚えていた稔は、かえって皆が一体感を持つチャンスではないか、と思うが、母や兄妹の反応はそこまでに至らない。そのうち、兄茂に複雑な事情を抱えた恋人がいることがわかり、家族は一層混乱していく。

事態の打開には父清二の仕切りが大事なのだが、肝心の清二がおかしい。病名は脳腫瘍。その症状の進行と共に、清二の言動が次第に常軌を逸していく。おそらくは正常な意識での発言ではないのだが、その言葉は妻と3人の子ども達の心に、毒の刃のように突き刺さっていく。それまで表面的には隠して平和な家庭を形成していた家族それぞれの事情や秘密が明らかになり、その傷に塩を塗りこむような父の異常な言動が加わっていくのだ。成功確率の低い手術は果たして成功するのか? そのストレスフルな日々を一家は乗り越えられるのか・・・。


開けっぴろげの大家族がドタバタを繰り返しながら予定調和的な大団円に向かっていくという、それまでのホームドラマの定番に真っ向から異を唱えた嚆矢のドラマ。このドラマ構造は、本作の4年後に同じ山田太一の手による「岸辺のアルバム」1977/6/24〜9/30で完成形に至りますが、私には本作の印象が強烈でした。

何よりも、誠実実直で温厚な人格者の風情のある小林桂樹演ずる清二が、病状として発する言葉の怖さが際立っていました。妻の日常の一挙一動に対する非難と批判、いかに自分が妻に蔑ろにされてきたのかを本人に投げかけていく、家庭内でタブーである行為をまざまざと見せ付けられる恐ろしさ。返す刀で子ども達への失望を語り、重ねて自分の失われていった若さを嘆き、性的なものへの願望を露わにしていく・・・。

サラリーマンとして一家を形成維持してきた中高年男性なら、心の奥底にきっと抱えているであろう感情の澱のようなものを、そのままつかみ出して当事者の前に開示する言動。それは本音でもあり本音でもなく、正常な人間なら誰もが感情の奥底にしまったまま墓場まで持っていく種類の感情。自分の家庭内では絶対に見たくない、聞きたくない台詞のオンパレードが、この連続ドラマ後半のクライマックスなのです。


ほのぼのホームドラマの体裁の中から、視聴者ののど下に刃の切っ先をあててくるようなドラマでした。今から34年も前のTVです。もう、こんなドラマをリアルタイムで観ることはないでしょう。

作者山田太一氏には2回お会いしていますが、とても柔らかな口調と物腰の中に知的で鋭利な洞察を感じる方です。学生時代に故寺山修司が親友とし、松竹助監督時代には故木下恵介が口述筆記を依頼するほど身近に置いて影響を与えようとした、その知的な人間的魅力を本当に感じさせてくれました。

氏のドラマ手法はこの頃から一貫しています。社会常識・社会通念にしばられて日常を生きる個々人に、常にカウンターをあててくる描写と人物を配し、「自分の中にある常識を一度は疑ってみること、せめてそれはやってみよう。その上で日常を生きて行こう」と語り続けてくれます。


氏の連続ドラマにおけるマイ・ベストは「早春スケッチブック」1983年。おそらく日本のホームドラマの最高峰の成果だと思っています。もっとも当時の視聴率は平均7.9%とおそろしく低かったのですが・・・。

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