「息子のまなざし」2002

kaoru11072007-10-21

決して好きな作風でないにもかかわらず、ダルテンヌ兄弟の作品には引き付けられてしまいます。「イゴールの約束」1996で注目を浴び、「ロゼッタ」1999「ある子供」2002でカンヌを制した、このベルギーの兄弟監督の人間を捉えるスタイルには圧倒されます。

労働運動の盛んな工業地帯リエージュでドキュメンタリー制作を続けてきた作家らしく、社会と個人の関係、そこに生じる不条理と感情の軋みのようなものを掴まえて提示してくれる。そのカメラの目線の粘度と辛辣は観ていて辛くなる程です。それでいて、そこで苦闘する人間に対する愛情と共感が根底にきっちりと厚い層をなしています。

息子のまなざし [DVD]

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ロゼッタ [DVD]

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自堕落な母親との貧しい暮らしの中で何とか職に就こうともがく少女を描いた傑作「ロゼッタ」1999同様に、手持ちカメラで主人公に密着した映像一本で押しまくる映画です。
劇伴音楽は一切なし。手持ちカメラもスティディカムを使いませんのでブレまくりです。しかもカメラと被写体の距離は非常に近い上に、状況説明のロングショットも殆どないため、時々主人公が何をしているのかすらわからなくなることもあります。それでも、人物の感情が次第に露わに伝わってくる、その一貫した創作姿勢が凄い。この監督は自分のスタイルを一切ブラさずに人間を掴まえます。


職業訓練校で木工を指導している男性教官オリヴィエは、フランシスという少年の入所によって動揺する。オリヴィエには別れた妻がいるが二人は決して嫌いあってはいない。それは彼らに生じたある事情によって余儀なく別れるに至ったからだろう。オリヴィエはフランシスに淡々と指導を重ねるが、一方で尋常ではない関心を少年に示す。仕事を終えた後を尾行したり、留守中の自室に忍び込んでみたり・・・。
映画中盤になってその理由が明らかになる。フランシスはオリヴィエの幼い息子を殺害した少年だったのだ。この教官と少年の二人を、ダルテンヌ兄弟はどう描いていこうとするのか?

ロゼッタ」に比して本作はかなりドラマティックな設定の物語です。しかし、描写はまったく“お話”めいてはいません。映像は、こんなやりきれない偶然のいたずらに遭遇してしまった中年男オリヴィエの感情と肉体の揺らぎを徹底して掴まえます。その息苦しさには辟易としてしまう方も少なくないでしょう。でも、この映画は“あり”です。同時代にこんな映画作家が居て、こういうスタイルの映像描写で現代の人間を描き出そうとしている事実を、私は受け入れたいと思います。

「まるでドキュメンタリーみたい」という感想もあるでしょう。おそらくダルテンヌ兄弟は、ドキュメンタリーで人間を描くことの限界からフィクションにシフトしたのではないかと思います。勝手な推察ですが。
社会的な事実そのもの、そこに関わる実在の人間を取材して構成するドキュメンタリー映像は、人間の驚くような一面を切り取って見せる鮮やかさが存在するとき、凡百のフィクションを超越します。
一方で、現実そのものを描写すると、その事実のディティールに注意が流れてしまい、肝心な人間の心情を捉えきれなくなる弱点も抱えます。故に“やらせ”と一般には批判される演出も必要になるものです。
1970年代の日本でも、特にTVを中心にドキュメンタリー映像の革新が重ねられ、例えばRKB毎日放送の木村栄文ディレクターは粘り強い現実の取材映像に、俳優による演技パートを抉り込ませてテーマを鮮烈にする凄い演出を生み出していました。それは余談ですが、人間そのものの感情を描くことに主眼を置くならば、フィクションの優位性は明らかにある訳です。

ダルテンヌ兄弟は、ドキュメンタリーにおいて地を這うように現実を追いかけたカメラワークを主軸にして、自分達が描くべきフィクションの領域に踏み込んだということでしょう。それは素晴らしい成果をもたらしていると思います。
特に本作では、主役のオリヴィエ・グルメの存在感は素晴らしい。「ロゼッタ」に続いて彼もカンヌで主演賞を獲得しています。103分の上映時間出演しっぱなしでごくわずかな台詞しかありません。それでも、この存在感は賞賛されます。


本作のユニークさは、もっと別の視点で語ることもできる訳ですが、沢木耕太郎氏の映画エッセイ「『愛』という言葉を口にできなかった二人のために」の中で、とてもわかりやすく知的な表現で記してありますので、そちらをお読みいただくべきだろうと思います。