「赤い鯨と白い蛇」2005

kaoru11072007-11-18


神田神保町岩波ホールにかかっていた時に関心がありながら、そのままにしていました。DVDでようやく鑑賞。
日本テレビのドラマ・ディレクター、芸術祭女とも呼ばれたせんぼんよしこ氏の、初めての劇場用映画監督作品。これはなかなか素敵な映画でした。私は好きな映画です。

写真はすべて(C) 2005 ASプロジェクト


年老いて娘を亡くしてから衰えを自覚していた保江(香川京子)は、孫の明美宮地真緒)に連れられて息子夫婦の家に向かう途中、戦時中に疎開していた館山の家を訪ねる。そこは旧い大きな農民家で、家主の光子(浅田美代子)と小学生の娘里香(坂野真理)が蒸発した夫を待ちながら暮らしていた。ほんの少し立ち寄る予定だったが、保江の懐かしみの度合いは強く、宿泊を甘えさせてもらうことになる。そこに、以前その家を借りていた怪しげなセールスをしている美土里(樹木希林)も現れた。
世代を刻んだ5人の女たちが旧い家に集う数日間、彼女たちのそれそれの抱えた事情と感情が緩やかに交錯する中、保江は60年前の記憶を懸命に辿ろうとしていた。かつて彼女はこの家で誰かとある“約束”を交わしたらしい。物忘れも目立つようになり、このままではその大事な約束すら忘れてしまうのではないか、というのである。保江が見つけ出したい記憶とは何か? そして女たちはそれぞれどんな選択をしていくのか・・・?

冨川元文氏のオリジナルシナリオは、丁寧に誠実に、世代の異なる5人の女性の経験と心情を淡々と紡いでいきます。もの凄くドラマティックなエピソードを盛り込む訳ではなく、そう親しくもない人間達がたまたまひとつの古民家に集う中で共感する瞬間を小さなクライマックスとして描き出しています。
それを演出するせんぼん監督には気負いもなく、良質のTVドラマを手がけた手腕をそのまま発揮されたと思います。それはとても好感の持てる描写の連続でした。古民家の持つ味わいも含めて、成功したキャスティングを含め、見事な演出だったと思います。

ネット上の批判的な評価を見ると、概ね映画映像のダイナミズムで見せることに無自覚であるとか、映画というより舞台劇であるといった言が多いように思います。確かにそれはそうかもしれませんが、私は映像ドラマをあまりジャンルやカテゴリーに分けて論じる気にはなりません。批判される要素は、TVドラマの持つ特性ともかなりかぶってきます。その世界の第一人者といえる監督のスタイルがそこに根ざしているのは当然で、別段批判すべきこととも思いません。本作の描こうとしているテーマは私には素直に伝わってきましたし、一瞬も飽きることなく面白く観ることができました。私は評価したいです。

そして本作の素晴らしさを支えているのが、何と言っても香川京子氏の存在です。
大スターだとは誰も言わないでしょうが、まさしく大女優です。日本映画の女優陣の中でひとり選出せよと問われたら、私は迷わず彼女の名を挙げます。私の上の世代の方々が、田中絹代原節子高峰秀子に日本映画のヒロイン像を見たように、私は香川京子にそれを見ます。
勿論、アクの強い役があまりなかった彼女は、前述の女優陣ほどの印象を残してはいないでしょう。それは否定しません。しかし、50年代以降数々の名画の中に確実に堅実にそのイメージを残し続けてきた凄さには敬服してしまいます。
本作の生命線は、保江という老境の女性が誠実で純朴な少女時代の経験と心情を、60年以上一貫して持ち続けているというドラマ上の記憶のイメージが、実在の女優の姿と仕草を通じて映画的記憶としてダブらせうるところにあります。それは香川京子をして明確に成立させうるのでした。溝口健二黒澤明小津安二郎成瀬巳喜男今井正・・・。巨匠と呼ばれる監督達がことごとく彼女を起用した事実が、香川京子という女優の凄さを物語っています。本作の彼女の表情はその結果であると強く思います。

本作のテーマを煮詰めると、それは“記憶”についての物語と言えます。人がひとを忘れないでいる、ということは、そのひとが現実に生きていることと同義である、と訴えます。それは生きていてもこの世にいなくても同じことなのです。そう静かに訴えてくるクライマックスの展開はしっかりと胸に迫ってきます。香川京子はまさにベストです。

赤い鯨と白い蛇 [DVD]

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女性の生き様にストレートにスポットをあてた映画は何だかヨーロッパの専売のように思われますが、日本にも本作のような誠実な作品が生まれているのです。
考えてみれば本作は、数十年前ならTVドラマの芸術祭参加作品としてゴールデンタイムの2時間ドラマとして制作されたことでしょう。今日のTVメディアの現実ではもはや不可能。その意味では、現代の劇映画なのです。