「ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟」2006

kaoru11072007-12-01

ウルトラマンシリーズ生誕40周年記念作品”として昨年放映されたTVシリーズの劇場映画版。単体の文芸作品としての質感はともかく、長きにわたって少年たちのアイドルであり続けているキャラクター系譜のイベント映画としての完成度を追及しています。
“現役”の子どもたちのヒーローたるメビウス:五十嵐隼人演ずるヒビノ・ミライが勿論主役なのですが、タイトル通りに他の主役がいます。それは「ウルトラマン」1966の黒部進(ハヤタ)、「ウルトラセブン」1967の森次晃嗣(モロボシ・ダン)、「帰ってきたウルトラマン」1971の団次郎(郷秀樹)、「ウルトラマンA」1972の高峰圭二北斗星司)。ウルトラマンシリーズ初期4作品歴代の主演者たちがかつての役柄のまま出演し、メインストーリーにきちんと絡む。何と06年現在の姿での“変身”場面まで用意されています。
写真は(c)2006「ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟」製作委員会

つまり文字通りの“父子ムービー”。顔見世興行に芸術的・文芸的な質を云々するのは野暮というもの。私とて5歳で初代「ウルトラマン」に魅了されたかつての少年。そういうスタンスに立つ限り、十分に楽しめ、熱くなれる出来栄えでした。
この「ウルトラマンメビウス」、映画もTVシリーズもメインライターは長谷川圭一。私とはひとつ違いの同世代。40年間の歴史の中、各シリーズは一貫性や整合性を保って制作されてきた訳ではないですが、各世代のファンたちに最大公約数的なぎりぎりの納得感を掬い取るように総合した設定とストーリーを組み上げています。作家性はさておき、マーケティング的な執筆センスは見事です。これはプロの仕事だと思いました。

本作は昨年の秋に公開され観客動員も好評だったようですが、実は04年にも劇場公開されたウルトラマンの物語がありました。同じ小中和哉監督作品「ULTRAMAN」2004です。
この作品は別所哲也主演でややハードでリアルな路線。まさに私らのような世代を意識して、かつての子ども向けTVシリーズを、現代の映像技術を用いてアダルトに再生させようとした試みでした。それはちょっとファン心をくすぐったのですが、興行的に惨敗。やはり現役の子どもたちにそっぽを向かれては商売にならないのです。で、TV番組も05年から原点回帰・王道回帰となり、生誕40周年記念作品として「メビウス」が生み出されたという経緯です。男の子向けキャラクターマーケティングのケース学習としてよき素材ですね。

ULTRAMAN [DVD]

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顔見世興行の宴を観終え、1966年に生まれた“ウルトラマンの物語”の本質を振り返ります。
昭和30年代、ゴジラ等怪獣映画を世界的なソフト価値に押し上げた円谷英二特撮監督は円谷プロダクションを創設して特撮映像の創造に拍車をかけます。やがてTVの家庭普及が進んだ昭和40年直前頃、劇場映画でしか子どもらが見られなかった特撮怪獣映像をTV放映しようとする企画が進行します。それは「ウルトラQ」という超自然ミステリーシリーズを経て、昭和41年「ウルトラマン」放映。長きキャラクターの歴史が始まります。
ウルトラマン」の物語フォーマットは単純明快。超自然現象ないし異世界からの侵略により怪獣が登場し平和と秩序を乱す⇒人間が分析・対抗するが敵わない⇒超人ウルトラマンが登場し怪獣を圧倒し平和と秩序を回復する、以上。このフォーマットは見事に40年以上の生命を保っています。いかに初期の創作が素晴らしいものだったかという証でしょう。
ドラえもん」や「サザエさん」など、長寿を誇るキャラクター物語は他にも多いですが、単独の創作者の作品を延々と継続するものが多く、物語フォーマットのみを共通として複数の創作者がその時々で様々な角度で創作し続けている商品は、ウルトラマンの他は“仮面ライダー”くらいではないでしょうか。結構珍しいのです。

この単純な物語フォーマット、実は日本では結構扱いが難しい。何故なら関わる作者が意図しようとしまいと“国防”の暗喩になってしまうからです。
初代ウルトラマンを創造した主たるスタッフの中に脚本家:故金城哲夫氏がいました。当時28歳。彼は円谷プロ文芸室長的なポジションにあり、「ウルトラマン」と「ウルトラセブン」の2作品の物語性と設定全般をほぼ完全にコントロールした中心人物。この2シリーズの表現バリエーションに、その後40年以上の諸作品がほぼすべて収まっている(超えるものが殆どない)ことからも、その仕事のレベルの高さがわかります。そんな彼は昭和13年沖縄生まれでした。

ウルトラマン生誕の年は、太平洋戦争敗戦から21年。日米安保条約自動延長を1970年に控え学生運動は活発化し、ベトナム戦争は泥沼化に向かっていました。そんな時代に当時米国領土となっていた“沖縄”を背負った若き脚本家は、この物語をどう消化して作品化したのでしょうか? それは初代の「ウルトラマン」をご覧いただければすぐに感じられるはず。
暴れまわる怪獣を戦争の暗喩にしないよう、彼はそれをあくまで超自然現象として扱う主調を採用しました。自然界のバランスが崩れたことにより局所的に生じた混乱と収拾にテーマをシフトした訳です。なので対抗する人間の専門チーム『科学特捜隊』も軍事組織としての描写は極力行われません。怪獣を倒してくれる超人ウルトラマンは銀色に輝く巨人。その出自は遙かな宇宙「M78星雲」から飛来した宇宙人。彼は偶然地球に降り立ち親和性を感じた人間のために自身の強力な力を役立てるのです。その行為は無償であり動機は物語中に明記されませんが、仄かな友情と信頼に基づく雰囲気が一貫しています。それらの設定によって最初のウルトラマンの物語はほのぼのと牧歌的なムードにくるまれています。

DVD ウルトラマン VOL.1

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太平洋戦争において国内で唯一の戦場と化した沖縄で少年時代をすごし玉川学園でリベラルな教育を経た金城氏にとって、ウルトラマンをハードな戦闘物語と描くことには、時代の空気の中で当然抵抗があったと推察します。実際、このシリーズ初期のメルヘン的な広がりと包容力が、キャラクターの長寿性を底支えすることになったのです。
しかし、ウルトラマンを異星人と設定したことが、おそらくその後彼を苦しめていきます。お気づきのように以下の物語構図は明らかだから。
【怪獣・インベーダー=侵略仮想敵軍】【怪獣に蹂躙される無力な人間=戦争放棄後の日本と日本人】【ウルトラマン=米国軍隊】。
颯爽と登場して怪獣を倒し平和を回復してくれる異星人とは、現憲法下の日本人を有事の際に救済してくれるはずの米国軍の暗喩になるアイロニー。このあたりの分析は、同世代の評論家切通理作氏が明快に記した実績がありますのでそれをご参照ください。
金城氏もその構図に気づいていたからこそ、ウルトラマンが地球人類を守る行為を牧歌的な友情の行為としてオブラードにくるむ設定を追及したのだと思います。寓話的神話的な物語世界。それは「竹取物語」の映像化を夢見ていた円谷英二の創作ベクトルとの相性もよかったはずで、幸福な創作世界の一時期だったことでしょう。

DVDウルトラセブン 全12巻セット

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しかし、商業的ヒットはその幸福な時代を変調していきました。人気の焦点はやがて侵略と防衛というハードな物語性に光をあてます。結果、1967年の第2弾シリーズ「ウルトラセブン」の強化点はまさにその点。超自然現象としての怪獣出現という曖昧な設定から、明確な侵略意図を持った異星人の攻撃にモチーフをシフト。地球防衛軍の設定を明記しそのエリートチームたる『ウルトラ警備隊』を創造。そこに地球人に姿を借りた異星人ウルトラセブンが加入するという、明快でハードな世界を描くことになります。この作品世界のビジュアルは、デザインを総合担当した故成田亨氏のセンスが光り非常に完成度が高かったこともあって、今日もシリーズ史上最高傑作と評価されるのです。
しかも、前作ではウルトラマン自身の心情は直接描写されることがなかったのに比して、ウルトラセブンは彼自身の心情吐露を語り部にしたために、“侵略者vs守られる地球人vs守人たる異星人”という構図が剥き出しになっていきました。それが作品評価の高さにつながるという皮肉。ついにウルトラマンの物語フォーマットは日本社会の問題構造と正面から向き合わざるを得なくなったのでした。
[](c)1967円谷プロダクション
実は、「ウルトラマン」最終回近くに以下のエピソードが金城自身の筆で描かれました。『科学特捜隊』の一員がウルトラマンの救済をあてにして怪獣に対抗する意欲を失ってしまうお話でした。その時、金城はウルトラマン=ハヤタ隊員に「ウルトラマンがピンチの時に人間が助けたこともある。持ちつ持たれつだ」「人事を尽くして天命を待つ姿勢があってこそウルトラマンは助けに来てくれる」と語らせています。
そして、「ウルトラセブン」の最終回はそこからさらに突き詰める。数々の侵略者との戦闘で満身創痍となったセブンは自らの生命と引き換えに地球人類の守るための最後の変身をします。満足に武器も使用できない程衰弱したセブン。ウルトラ警備隊の助けを借りて最後の敵を倒した後人間に戻ることなく故郷の星に帰還します。そこに漂う子ども番組と思えぬほどのハードで悲壮なテイスト。このエピソードも書いた金城は、残された警備隊員らに「セブンを死なせてしまったのは自分たちだ」「この地球は我々人類が自らの手で守らなければならないのだ」と語らせました。そして、金城はその後例外的な執筆を除いてウルトラマンの物語を紡ぐことをやめ、沖縄に帰還。沖縄返還直前に不慮の死を遂げます。時に1971年、37歳でした。

その後、金城が形成したウルトラマンの物語は、同じ沖縄出身の上原正三、長崎出身でクリスチャンである市川森一、松竹ヌーベルバーグの一員石堂淑朗ら名ライターたちが人間ドラマの深みと不条理を注入し高度化ていきました。その変遷の中、“ウルトラマン=異星人”という定義をはずす試みも行われました。その歴史の中“守る者=ウルトラマン:守られる者=地球人類”の2者の関係性は、常に“友情に根ざす相互信頼”であることが結論的に一貫していきます。きっと、現代の日本人の意識下には、そういう親米感情が横たわっているということでしょう。
私が少年時代に最も衝撃を受けたのは、「ウルトラセブン」において金城氏が執筆した「ノンマルトの使者」というエピソード。そこで彼は、守られる地球人類が決して無垢な善良ではなく、過去において先住民族を侵略した可能性に言及します。守る者たるセブンが地球人類を守ることの是非に悩むのです。その思想的な深さは通常の邦画のレベルを遙かに凌駕していました。


・・・私は、ウルトラマンの物語が40年以上の長い生命を保っている秘密は、表面的なマーチャンダイズの裏側に、この戦後日本人の精神の根幹に関わるテーマに、若い作家たちが思想的格闘を続けてきたこと、そこから生まれる多元的なエネルギーの存在にあると思っています。