「39 刑法第三十九条」1999

2000年前後、私は映画と縁遠くなっていた時期で、故に本作も観ないままに過ごしていました。それを後悔しています。これは傑作です。
森田芳光監督はデビュー作「の・ようなもの」1981からリアルタイムで観てきています。現在公開中の「椿三十郎」はちょっといただけないですが、出世作家族ゲーム」1983以来知的にひねった作風は独特。そして製作に切れ目がないということは、きちんと商業価値を保ち続けるビジネスセンスもある訳です。邦画界で貴重な存在です。

39-刑法第三十九条- [DVD]

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感動的な映画とは涙が流せる映画であると多くの方が思われていますが、そういうカタルシスがなくとも優れて感動的な創作はあるものです。本作はまさにそれ。観終わった時の爽快感などありませんが、登場人物の重層的なドラマに託した社会的メッセージの鮮烈が、現代を生きる善男善女の良心的共感を得て見事。類似作として、故木下恵介監督の「衝動殺人・息子よ」1979が挙げられます(この作品は“犯罪被害者給付制度”の法整備を促進しました)。木下作品との違いは、本作が裁判サスペンス・ミステリーとしてのジャンル映画としての面白さをハイレベルで実現していることでしょう。


心理学の研究員:小川香深(鈴木京香)は精神医学者の藤代(杉浦直樹)の助手として、殺人事件容疑者:柴田真樹(堤真一)の司法精神鑑定に参加する。柴田は住む若い夫婦・畑田修と恵を殺害した罪を認めるが犯行当時の記憶がなく奇行も見られる。国選弁護人の長村(樹木希林)は刑法第三十九条により無罪を主張、精神鑑定を請求したのだ。丁寧且つ多角的な鑑定の中、柴田に戦闘的なもうひとりの人格が現れた。幼い頃の父親の虐待による多重人格症。裁判は心身喪失状態の認定へと大きく転換しだすが、香深は違和感を覚える。柴田の多重人格は“詐病”ではないか?と。
香深の手で柴田の再鑑定が始まった。さらに柴田の犯行動機を探るうち、殺害された被害者・畑田修が少年時代に幼女暴行殺人の加害者ながら、犯行時の心神喪失が認められたことで事実上の無罪放免になっていた事実がわかる。しかし、柴田と畑田の間にはまったく接点が存在しない。一体その事実は何を物語るのか? 柴田の多重人格の真相は? 


見事なミステリー映画の構造を持っていますので、ネタばれを避けて内容にはこれ以上触れませんが、本作はシナリオの構造がきちんと物語の多重性を組み上げています。その骨格がしっかりとしていて、強烈なメッセージ性を帯びていることが何よりも強みです。その軸が一切ブレていないので、凝りに凝ったカメラワークやキャラクター造形のためのサブエピソードの思わせぶりが、主軸の枝葉としてすべて画面を豊かにすることに成功しています。
監督の演出意図を最も明確に具体化したのがキャスティング。森田監督曰く“パターン演技を排する芸達者で固める”。検事・弁護士・刑事・裁判官等々の専門職の言動にリアリティがなければ物語が絵空事になってしまいます。それを演じたベテラン俳優たちの芸の引き出しがそれにしゃんと応えて見事。大変完成度が高い映画でした。


・・・私は、刑法39条に込められた精神自体を否定はしません。それどころか発達障害児発達障害者と身近な人生を歩む人間として、一般市民レベル以上に大事だと主張する立場です。しかし、現在、その法の運用論には大きな違和感。はっきり申し上げて行き過ぎでしょう。いかに残虐無残な行為であっても“心神喪失における責任能力論”のみに収斂してしまい、最高の知性がよってたかって陳腐で不条理な結論に導き続ける無情の拡大再生産状態です。
私たちの社会は、個人の人権を認識し保護するという先進性を勝ち取った訳ですが、物事にはバランスと因果律があります。傷つけた者の人権もあるでしょうが、傷つけられた者たちの人権も明らかに存在します。そろそろ人類の知は現在停滞しているそのステージを越えなければならないと思うのです。


さて、刑法39条の不条理をモチーフにした映像ドラマで、私の印象に残っているのが35年以上前のテレビ映画「怪奇大作戦」1968〜1969。
円谷プロダクションウルトラシリーズ製作後に、年齢対象を少し引き上げて製作した30分もののシリーズ。特撮映像が売り物ながら子ども向けには内容に救いがなく低視聴率のため26話しか製作放映されませんでした。その第24話『狂鬼人間』。以下のようなエピソード。

犯行時に心神喪失状態であった容疑者による殺人事件が都内で多発。その真相を追う警視庁とSRI(科学捜査研究所)の牧(岸田森)はブティック経営者・冴子をマークする。多くの事件の容疑者が、犯行前に冴子と接点を持っていた事実がわかったのである。牧は冴子に接近、彼女が特殊な脳波変調機を使って一時的な心神喪失状態を作り出す“狂わせ屋”であることを知る。しかし、冴子は牧の意図を見抜き彼を“狂わせ”てしまう。正気を失う直前の牧に語った真相。冴子は本来新進の脳研究科学者で、研究同志の夫と幼い娘の3人で希望と幸福に満ちた生活を送っていた。しかし自宅に乱入した異常者に夫と娘を惨殺され家も焼き払われてしまったという。そしてその加害者は刑法第39条により罪にすら問われなかった。それを知った冴子は、この不条理な社会に彼女なりの復讐を開始したのだった。心身喪失状態の牧は同僚を襲うが危機一髪で救出される。警察は冴子の身柄確保に向かうが、冴子は脳波変調機を自らに装着し変調レベルをマックスにした。彼女の心は二度と再びこの世界に戻ってくることはない・・・。

DVD 怪奇大作戦 Vol.1

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子ども向け番組ではやはり無理な内容でしょう。でもこの正味24分のドラマには超重量級の社会性が込められていました。「39 刑法第三十九条」の30年前に、既にこんなドラマが放映されていたのです。
しかし、この「怪奇大作戦」第24話『狂鬼人間』を鑑賞することはほぼ不可能。今日的には人権問題として目くじらを立てられてしまう表現が当然のごとく散見されますので。再放送もおそらく一度もされていないでしょうし、ビデオ・DVDへの収録販売からも除外済みです。志の高い作品であっただけに残念です。