「ちいさこべ」1962

かなり遅れてきた読者ですが、山本周五郎が好きです。時代小説はめったに読まないですが、滝口康彦と周五郎は別格。かつて黒澤明が周五郎作品の映画化に一貫してこだわったことはよくわかります。市井の視点を忘れない真摯なヒューマニズムが読むたびに沁みるからです。

ちいさこべ [DVD]

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東映昭和37年の超大作。監督は名匠田坂具隆。休憩を挟んだ2部構成の本作はトータル3時間。江戸大火の焼け跡の巨大オープンセットは、東映時代劇黄金期の最後の残り火。見事なスケール。主人公である大工の棟梁茂次に中村錦之助。幼なじみの下働きおりつに江利チエミ。茂次のカウンターキャラ利吉に中村賀津雄。

…神田の大工“大留”の若棟梁茂次は、3日間続いた江戸の大火で両親を失い店も全焼という憂き目にあう。先代の意志を継ぎ大留再興を決意する茂次は、焼け跡に仮店舗を建て弟子達と仕事に精を出していた。近所の幼なじみで茶屋奉公をしていたおりつを下働きに雇うが、彼女は焼け出された浮浪児を五人も養っていた。茂次は不人情な男ではないし、おりつを憎からず思うものの非常時ゆえに彼らを疎んじてしまう。居辛くなったおりつは子どもらを連れて出て行った。
大留は代々続く高級建築のブランドであり、茂次は貧しい被災者たちの仮設住宅づくりよりも富裕層の贅沢な注文に専念した。それは商売として正しいが次第に町内で孤立していく。一方宿無し金なしのおりつと子ども達は、遊び人の利吉の世話になっていた。かつて孤児だった利吉は浮浪児らに優しい。しかし彼が子どもらに教えるのは盗みや博打。おりつは利吉の奥底に誠実を感じるが、この暮らしが必ず子どもらを不幸にするという確信があった。やがて、おりつや子どもらと再会する茂次。そして利吉との出会いがドラマのうねりを呼び、焼け野原の江戸を舞台に、貧しさの辛さの中から仄かに希望の温かさを感じさせるクライマックスへ…。

殺陣が殆どない時代劇はこの時期の東映で革命的。唯一利吉が捕り方に追われる場面くらい。170分出づっぱりのスター錦之介も、人情劇のきめ細やかな演技を見せてくれています。江利チエミの存在感も素晴らしい。中盤には、「サウンド・オブ・ミュージック」ばりの人形ミュージカルまで盛り込まれ全盛期の彼女の歌声も堪能できる。ワンシーンだけ渥美清の演技も見ることができ、3時間見応え満載。退屈なし。真摯な出来栄えで周五郎ワールド映像化の代表作のひとつですが、公開当時は記録的な不入り。興行的には大失敗だったとか。
“ちいさこべ”とは、蚕と間違えて沢山の小さな子どもの世話をした神話上の人物の名前。その行為は現在の幼稚園や保育園のはじまりと言われます。この物語が訴えるのは、人が人に見捨てられないということはどれほど価値あるものであるか、というもの。
幼き弱きものを大人が庇護することの意味。例えば教育というものが何故必要なのか。辛く淋しく貧しさに追い詰められている時にでも、孤独でないということが人生と社会に何をもたらすのか。大所高所から俯瞰した哲学でない、社会の小さき者の実感から立ち上がる観念…。義務教育とは「子が勉強する義務」ではなく「親が子に教育を与える義務」であるということの本質が、例えばこの物語には描かれています。