「4ヶ月、3週と2日」2007

昨年のカンヌ、パルムドール受賞作。ルーマニア映画は初見。1987年のルーマニア、ルームメイトを手助けするために奔走する女子大生の1日の物語。このところ口当たりのよい映画ばかりを手にしてきましたが、それらが飴玉に感じられるような辛口の切れ味。極めてクールに人間を見つめる辛い作品です。感動とは心地よさのみではないことを再認識させられます。

現代日本社会の感覚では、どうにもヒロインへの感情移入が難しい。例えば、何故彼女はルームメイトの堕胎をそこまで献身的に支援するの? 同室とはいえ会話は微妙にズレを帯び、二人が無二の親友などでないことは巻頭10分で明らかなのだ。そんな「?」が次々と湧いて来てしまう。それでも我々は「1987年ルーマニア」という巻頭のテロップの持つ意味からもう一度画面を見つめる必要があるのです。チャウシェスク政権末期、日本はバブル景気の残り火に浮かれていた同時代。市民生活は困窮し、体制維持に躍起の警察国家となっていたルーマニアの日常の中にヒロインはある。そこからもう一度映像を噛みしめてこそ、本作の辛口の味わいに手を届かせることができます。
人間の本性は場と時間を超越して普遍ですが、同時に人間は社会的動物です。個人が身を置く社会の状況やシステムの影響を否応もなく受けながら生きています。あの時代のあの国において、ヒロインの心情は非常に共感性の高いものだったということ。ストレスフルなことではあれ避妊も中絶も許容される現代日本社会の観客をして、日常の共感をベースに観賞することは難しい訳です。そのハンデにも関わらず、本作の画面の吸引力には素直に感動します。ワンシーンワンカットを基本とする長回しと劇伴音楽の排除は、飽きっぽい観客には両刃の剣ですが、全編辛い程の迫力が勝っています。ワクワクする面白さなど皆無なのに引き付けられるのです。

本作の価値は十分に認めます。パルムドールも納得。しかし、個人的にはルームメイトの造形を好きになれず、作品に愛着までは湧きません。しかし、そのキャラ設定すら、当時の社会システムがヒロインに強いる緊張にとって意味があるのです。そのことには観賞後に気付きました。観終わった後にも残る苦味が、本作を観た記憶を反芻させます。私はエンターティメントが好きですが、映画が存在する意味と価値はもっと広くもっと深いものです。単純な面白さのためだけでなく創らずにはいられない映画もまた、存在します。