「007/慰めの報酬」2008

2年前に「カジノ・ロワイヤル」を絶賛した故に、2作目は楽しみであり怖くもあり。世評は様々。躊躇しているうちに友人が観賞。先を越されたと慌てて駆け込んだ週末のレイトショー。結果は満足。今度も素晴らしい、いや本作の方を私は高く評価します。前作を観てない方にはツライですが。
「カジノ…」はまだボンド映画の“伝統”をある程度配慮したリニューアルでした。例えば英国紳士の男伊達を誇張する洒落っ気とか、セックスシンボルとしてのボンド・ガールとか。リアルアクションに踏み込みつつ、守旧派へのイクスキューズにも目配りする印象でしたが、前作の高評価をジャンプ台に、本作は一気に針を振り切っている。伝統からの離脱への踏み込み。成る程世評が割れるはず。例えば、啖呵バイの聞けない寅さん映画みたい。他のスパイアクションとの差別化は? という批判もあるでしょう。でも第一作から半世紀近く。同時代の中で陳腐化しても敢えて伝統を守るのも勇気。しかし、リニューアルによって時代にシンクロしてみせるのも勇気。それで淘汰されたら仕方がないという覚悟。

先日「007/リビング・デイライツ」1987をTVで垣間見て驚いた。当時相当洗練して見えたアクション演出が古めかしい。それはアクションシーンのカメラ位置の違い。標準が常に引きの画だったんです。事態がどう動いているかをきちんと観客にわからせるロングショット中心。それが本作ではアクションのど真ん中にカメラを置く。状況が少々わからなくなっても主人公視点の臨場感を採用。何故ならクレイグ・ボンドは傷つく男、人間ボンドだから。生存と勝利がお約束のヒーローであっても、怪我もするし感情もあわ立つ。だから観客と彼の視点を近づける。アクションの起承転結を見るのでなく、アクションに伴う感情を体感する。それがリニューアルの本質のひとつです。アクションどアップ。カメラぶん回し。これはかつて深作欣二が「仁義なき戦い」1973で伝統的時代劇の血をひく任侠アクションの定番を破壊した時にも近い。

もうひとつの決定的転換がヒロイン描写。添えものとしてのセクシャリティは要らない、と宣言。異議なし。ボンドガールがピンで立つ。オルガ・キュリレンコ演ずるカミーユの背中がカッコいい。大きな火傷を隠さない服装と姿勢が、説明台詞抜きに情念と矜持を漂わせる。ボンドとカミーユは交わらない平行線。たまたま事件が二本の線を引き寄せるものの、事件が終わればそれぞれの位置に戻るだけの潔さ。ふたりは対等であり、バディ・ムービーの色合い。女性プロデューサーの参画は明らかにプラスと思います。
物語後半、寒さに震えるカミーユ上着を羽織らせるボンド、というシーン。見慣れた描写と見えますが、彼女はその前のシーンでパーティに参加している。露出の多いドレスを着る必然があり、着替える間なく逃亡して地底に転がる流れ。寒さに震える根拠が描かれている。単純に紳士を引き立てるためのオンナの震えではないのです。それは前作で初めて殺人に直面したヒロインがシャワーに震えたシーンも同じ。もうひとりのボンドガールだって職務遂行のプライドをきちんと描く。終わらせてよい伝統もあるのです。

こういう映画はセンスに酔いたいじゃないですか。その点文句なし。ファッションも小道具も、“伝統”を踏まえたボンドがいる。Mの台詞にも痺れます。迷いながらも部下を信じる、という上に立つものの覚悟。今回ジュディ・デンチには化粧落としのクローズアップまである。これは見事。Mの配偶者の声まで聞けるとはお洒落でしょう。アカデミー賞監督でもあるポール・ハギスの脚本参加は人間描写に深みを加えます。前作でイマイチ冴えなかった名優ジャンカルロ・ジャンニー二が今回はグッと魅せます。ダニエル・クレイグが彼を抱きしめ、傍らに立ちすくむオルガ・キュリレンコ。私が最も好きなショットです。
蛇足ながら、数々のアクションシーンが何となく、往年のまっとうだった頃の宮崎アニメの引用に思えます。冒頭のカーアクションは「ルパン三世カリオストロの城」。クライマックスの崩壊するホテルでの追いかけっこは「長靴をはいた猫」等。そういう目で見る面白さもあり。嗚呼、もう一回観ようかな。(前作「007/カジノ・ロワイヤル」の記事はこちら↓)
http://d.hatena.ne.jp/kaoru1107/20061229 http://d.hatena.ne.jp/kaoru1107/20070715