「クライマーズ・ハイ」2008

見応えある力作。地方新聞社の編集局の人間模様、その多様な登場人物の個性とせめぎ合いがすべて。その描写力は、現実の組織人の目にも十分な出来栄えで、評価されるべき映画になっています。ただ不満がない訳ではない。原作未読のため原作者の意図を汲取れていない可能性は大ですが、少なくとも1本の映画としては、主人公:悠木の家庭関係の葛藤は余計だと思えました。

群馬の山中に日航ジャンボ機が墜落した未曾有の大惨事。1985年8月、新米社会人だった私は帰省のため国内線搭乗を予定してました。業務中の怪我で取止めたものの、あの123便の機材に搭乗した可能性もあった訳で、全くの他人事ではありません。横山秀夫氏は当時群馬の地元紙でこの事故を取材していたそうで、その体験に基づく小説を書き上げたとのこと。リアリティの根拠はそこに収斂されます。原田真人監督の演出も手堅く躍動し、オフィスというドラマ性の希薄な空間を活性化しています。
こうした題材では、記者と取材対象間のドラマこそが主題になりがち。しかし本作の視点は違う。巨大事件を眼前にした地方中堅メディアの組織内の、“仕事上の”葛藤と踏ん張りに焦点を当てる。特に、東京の巨大メディアとの圧倒的なリソース格差の中でどう成果を生むかという枷。70年代初めの成功体験に埋没し守旧意識からしか物事を見ない上司たちをどう突破するかという枷。これらが物語の基盤となっているからこそ、事故の当事者でない傍観者のドラマにも関わらず、面白さと見応えを立ち上げられます。組織人の体感からこそ描写できる価値でしょう。

主人公たちがオフィス内でいくら怒鳴りあおうと、あの日の事故当事者たちの現実を左右することはできない。あまりにも取材対象が巨大に過ぎる。しかし人間は仕事に向き合う際、どんな状況下でもより高い成果、より革新的な切込みを希求して止まないものです。例えそれがコップの中の嵐に過ぎないドタバタであろうとも、職業人はその不断の努力を捨ててはならない。それなくしてメディア=傍観者は世界を動かす突破力を持ち得ない。その矜持。本作はそれをちゃんと描こうとします。だからこそ、堺雅人尾野真千子演ずる二人の記者と、編集局幹部がスクープの為にもがき抜くクライマックスがゾクゾクさせるのです。私は報道の仕事に縁がありませんが、そのプライドあってこその夜討ち朝駆けであろうと拝察します。

それだけに勿体無い。折角、組織と仕事上の葛藤を本題にした“真のサラリーマン映画”なのにです。“仕事一辺倒で家庭を顧みなかった男が人生と家族関係を見つめなおす”という手垢にまみれたテーマは必要なのか? 堤真一演ずる主人公には、父と息子の葛藤という人間描写が設定されています。でも、「クライマーズ・ハイ」という物語の価値は、そんなところにはないと思うのです。