「接吻」2008

キリリと引き締まった良作。タイトルロールには2006年とあったので2年近く公開されていなかったということでしょうか。物語のモチーフは勿論、大阪池田小児童殺傷事件被告の獄中結婚。こういう素材は刺激に振り回されて興味本位に終始してしまいがちですが、本作はそれを回避。無差別殺人を犯した男に一途な共感を寄せるヒロインの言動に視点を絞り、見応えある心理劇になっています。小池栄子の目ヂカラが本作を印象深く彫り込んでいますし、演出と編集の的確さが秀逸。観客の容易な感情移入を拒みながら、ラストまでこの身近な狂気から目を逸らさせない作り手の腕前は拍手したいです。

堅実だけど地味で孤独な会社員京子(小池栄子)は、偶然見たTV報道に釘付けになる。無差別殺人犯(豊川悦司)が逮捕される時にカメラに向けた不思議な笑み。その表情に強く共鳴した彼女は、見ず知らずの彼との接点をつくろう関係性を築こうと献身的な行動を始める。完全黙秘を続ける被告に手を焼く国選弁護人(仲村トオル)は、京子の便宜を図りながら、彼女の行動をどう受けとめるべきかと揺れていく。やがて京子の思いは被告に届き、奇妙な関係が固まるかに見えたが・・・。

真面目で一途、そして切実なヒロインの心情には、誰もがどこかで理解できる経験を持っています。他人から軽んじられた理不尽を経験しなかった人間など殆どいない。でも、彼女のようにあるラインを越えることはない。そこにはほんの少しだけの差異がある。まるで薄皮一枚のような違い。自分の身近にありながら、随分遠くに思える狂気。この映画が描写するのはまさにそこなのです。観客は京子に感情移入はできないけれど、この狂気を身近に感じることはできるでしょう。
秀逸なのは冒頭の犯行シーン。抑制的なのに犯行の非情を強烈に訴求する一連のシーン(少女が室内に引き込まれるワンカットの戦慄!)は観客だけが確認し、京子は観ていない。この差異が後段の心理劇に一貫した異化効果の底流音を流し続けます。その構成と構造が的確なのです。だから観客は、彼女の行動に感情移入できず、薄皮一枚の狂気の傍観者たらざるを得ない。敢えて、京子が公園のブランコで戯れるシーンなどはその白眉。私が一貫して「狂気」と表現するのは、本作の登場人物の関係性を構築している感情はすべて彼女の内面で形成されているからです。この映画の描写はそこをキリリと衝いている。人間の内面感情はまったく重なり合うことはないのだ、という絶望を観る事ができるのです。

接吻 デラックス版 [DVD]

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裁判員制度で私たちが関与する刑事事件の背景には、こういう身近な狂気が様々に内包されているのだろうと思います。人間は(自分も含めて)決して合理的な存在ではない、ということを見据えていかなければならない。そう思っています。