「あゝ決戦航空隊」1974

“特攻の生みの親”と称された海軍中将大西瀧次郎。「仁義なき戦い」で勢いに乗った豪腕シナリオライター笠原和夫が彼に焦点を絞り込んで描いた渾身のシナリオを山下耕作が監督した大作。海軍将兵が皆ヤクザに見えるとか、東宝の「日本沈没」大ヒットに続けとばかりの大作企画の安直さとか、特撮映像の彫りの浅さとか、手放しで褒められない要素があるとしても、本作は観るべき戦争映画のトップレベルに存在します。できれば高校の授業ででも見せたいくらい。笠原がしっかりと事実にあたりながらドラマを構築しています。昭和20年8月前半の日々はどのようにして動いていたのかを、非常に明快に語ってくれます。

鶴田浩二が熱演する大西中将がフィリピン航空隊の司令官に赴任する場面から物語はスタートする。本土防衛の最終ラインを死守する戦法として、かねて現場より具申のあった特別攻撃を採用すべきか否かの決断に悩む大西。しかし、軍令部は誰も責任を引き受けようとはしない。結果、大西はすべて自らの一存でと言い置いて前線に赴く。
特攻命令は、海軍が組織的に意思決定したものだったかについてのドキュメンタリーを、先日NHKが放送していましたが、30年以上前の劇映画が既に語っていました。現場としては特攻止む無しの機運はあったでしょう。彼我の戦力差は明らかであり、熟練の飛行兵の多くを失っていた大戦末期です。制空権を失った状態で戦果を期待するとなれば、その発想は必然でもあったでしょう。しかし、軍隊は組織であり、そこには指揮命令系統が存在します。神風特別攻撃隊が編成される初動とは、中間管理職が思い余って勝手に始めました、という“落としどころ”でした。それを形成した当時の海軍の組織風土が端的に描かれます。それは今日どんな組織においても受け継がれています。

大西は、真珠湾攻撃のシナリオにも参加した航空主戦力者で合理主義者でもありました。その彼が特攻の生みの親という称号を背負った訳です。「特攻なんてものは、統率の外道だよ」と述べながらも、彼は最後の最後まで特攻機を送り出して行きます。それはやがて終戦工作無視の徹底抗戦論者の姿へと彼を変えて行くのですが、それが何故だったのか? それを描きぬくのが本作のテーマ。
この映画を観ると、戦後60年以上を過ぎた現代日本のメディアが、いかに縮こまって思考停止しているかがわかります。30年前の方が曖昧なタブーを貫いて、物事を直視して考えようという思いが明快だったということです。商業映画の世界においてですら。
笠原はこのシナリオを映画化するにあたって、自身の美意識に傾斜してリアリズムを軽視しがちな山下監督の起用に反対しました。そして、東映の役員会の場で、大島渚の起用を進言しています。当然無視されてしまったようですが、もし成立していたならばと思わずにはいられません。笠原曰く、大島監督は観念的なテーマと現実のリアリズム描写を両立させる器量を持った監督である、特攻隊の現実を描くには最適の監督であろう、と。
終戦を迎え、ご存知の通り大西は割腹自殺を遂げます。この描写は鶴田迫真の演技となっています。自ら多くの若者を死地に送った管理者として、当然のことをなしたという思いだったのでしょう。しかし、特攻に関与した海軍の上級将校は大西と僅かな例外を除き、殆どが何ら責任を負うことなく戦犯扱いも受けず天寿を全うしています。これはどうしたことでしょう? 彼らは組織ぐるみで特攻は現場の兵士の自発的行為と賞賛し続けました。それは東京裁判で人道に対する罪を逃れるために徹底したのだと言われます。戦争責任の所在とは何だったのか、実はこの映画は、特攻スペクタクルの皮をかぶっていますが、そこに刃を突きつけている極めて知的なシナリオなのです。

あゝ決戦航空隊【DVD】

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