“和尚”と呼ばれた監督とのお別れ

9月10日午後1時半、成城の東宝スタジオ第8ステージにて映画監督故松林宗恵氏のお別れの会が催されました。強い日差しにカラりとした明るい空気。ロケには適した日和に思えます。かつて夢の工場と呼ばれた数々の名匠巨匠の仕事場に、シンプルで立派な祭壇が設えてありました。

“社長シリーズ”や戦争大作のヒットで東宝のドル箱監督と言われた松林監督、享年89歳。最後の監督作「勝利者たち」は92年公開ですから、事実上の引退から20年近くが経過しています。私より若い世代でその名を知る者は殆どいません。にもかかわらず沢山の参列者、しかもどこか明朗な活気が漂っていました。当然ご高齢の方が多いわけですが、それでも会場は現役のテンションが混じり、過去と現在をつなぎ紡いでいく雰囲気を感じます。
写真は産経新聞より
弔辞を読む八千草薫さん、司葉子さんの可憐さは時を超えて変わらず、現役バリバリ同世代の樋口真嗣監督も献花に加わり、安倍晋三元首相もそこに並び、と。そう書き連ねても意味があるとも思いませんが、この「和尚」と呼ばれた監督が過去から最近に至るまで関わってこられた方々の広がりと厚みを知るには十分おつりが来るようです。僧籍を持ちながら助監督試験を受け、大戦末期を海軍予備士官として九死に一生を得る経験を経てから監督になった松林氏。豪快でありながら繊細で優しく謙虚な振る舞いが、いかに多くの人にポジティブなものを与え続けて来られたかがわかります。
「映画は大衆娯楽、だから高尚な思想哲学も平易な文体で語る」というスタンスをブラさなかった68本もの監督生活。平易で面白いだけでなく、映画には“リリシズムがなくてはならないよ”と、映画ならではの文芸の美を大事した作家性。“職人監督”と呼ばれ批評の対象にはなることは少なかったかもしれませんが、これだけ多くの観客と関係者に愛された仕事人は尊敬に値すると思います。
松林氏の撮影現場を見たことはありませんが、常に明朗な空気を監督が形成されていたそうです。叱るより褒めることを選び、残業早出を現場スタッフに一切強いず、現場の構成員が活発に積極的に画面成果に貢献したがるマネジメントを徹底したとか。そのことを、司さんは「監督は私たち俳優を、好きでいていただいた」と表現したのでしょう。

献花の間、ずっと流れていたBGMは服部克久氏が書いた「連合艦隊」の美しいメロディ。そして、谷村新司氏の長文の弔電。いつしか「群青」を歌うことをやめられていただけに、心を温めてくれました。合掌。