「ワルキューレ」2008

ブライアン・シンガートム・クルーズを主演に監督した史実に基づく軍事アクション「ワルキューレ」。言わずと知れたドイツ国内で起きた最大規模のヒトラー暗殺計画をドラマ化。私はドイツ将校達がベルリンを舞台に英語劇を演ずる枠組み自体は好きではない。しかし、こういう作品の存在は認めたい。ハリウッドのスター映画だからこそ、より多くの観客に見せることができるから。クルーズは現役2枚目スターの代表格だが、主演作の選び方・演じっぷりを見る限り、骨っぽい男ぶりを感じさせてくれるから好きだ。華のある役者だが、どこかに自らが抱えた陰を抱いているからかもしれない。

本作の評価は賛否がわかれ、全体に高いと言えないようだ。否定的な論調を読んでいくと、結局突き当たるのが「観客は結末を知っている」ことでサスペンスが高まらないことへの言及である。気持ちはわからなくないが、さて随分浅薄な映画批評である。確かに、私たちはヒトラーが国内の暗殺計画を生きのびたという歴史上の定説を読んできたし聞いてきた。しかし、だからどうだというのだろう。史実に基づくドラマとは、それを前提にどこまで登場人物の心情と感情を描き抜いてくれるのかという劇的な構成・演出・演技の総合を見せるものではないか。ヒトラーの生存を知っているから後半のサスペンスが高まらない、と仰るのは何処か評論の視点がズレはしないだろうか。

私はブライアン・シンガーの演出に感心した。例えばそれは、中盤のクライマックス以降の意図的な描写。トム・クルーズ演ずる作戦首謀者の大佐が紆余曲折を経て爆破工作を成功させた瞬間以降、それまで惜しげもなく描写しまくっていた総統自身の姿は2度とカメラの前に現れない。劇中でも、また観客の知識と常識でも、ヒトラー暗殺は失敗している。しかし、それをこの目で確かめたものは(殆ど)いない。私たちは「ヒトラーが生きていた」という言語を認知しているのみで、事実を見て本人に触れた訳ではないのだ。生存情報をめぐる登場人物たちの疑心暗鬼は、観客自身にとっても同じことではないか、という知的な統一性を見ることができる。
そして、画面の緊張感を保ち続けるのは、トム・クルーズの大見得であるという娯楽映画の王道の快さ。丁寧に作りこまれた知的パズルのような構成演出に、天下のスターのカリスマが画面自体に力を与えている。結末は悲劇とわかっていても、最後まで面白く惹き付ける魅力と格調に満ちた映画の一本に違いない。

素材となるエピソードは異なるし史実でもない物語だが、類似作を思い出す。ジョン・スタージェスが監督した英映画「鷲は舞いおりた」1976である。こちらはヒトラーが命じたチャーチル誘拐作戦。荒唐無稽で無茶な命令と知りながら、ドイツ軍の切れ者はぐれ者が部隊を編成し無謀なオペレーションに挑むという物語。ディティールはまったく異なるものの、私は「ワルキューレ」との共通点を強く感じた。無謀でリスクが大きくとも、自身の生命安全を超越する目的意識のために行動する人間の美しさを描いたことだろう。人間は誰しも自分が大事、それを尊重すべきことは自明なのだけれど、時と状況の中ではそれに優先する課題に取り組むことが人間にはできるということ。事実、そうして行動した人間がいたのだということ。それを観ることで、私たちは映画に感動する。
チャーチルヒトラーも、これらの映画で描かれたエピソードで生存が揺らいだ史実はない。しかし、私たちはこの映画をラストまで見つけ続けることができる。それは単にサスペンスの出来栄えではなく、人間の行為の強さへの感動を、トム・クルーズの見得を通じて感じることができるからだ。

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