「その木戸を通って」1993(2008)

私は時代小説の熱心な読者ではないですが、山本周五郎滝口康彦は愛読しています。周五郎の短編集「おさん」(新潮文庫)はとりわけ好きな一冊で、幾度も再読するので随分傷んでしまいました。その中に収録された一篇が「その木戸を通って」。これが映像化されていたことを最近まで知りませんでした。それも市川崑によってとは。
正確には劇場用映画ではなく、ハイビジョン黎明期に収録されたTVドラマ。それを改めてフィルムに転換し、昨年の東京国際映画祭を機に一部劇場公開されたという経緯。ハイビジョン・ドラマとはいえ、そこは撮影所育ちの巨匠の作。大スクリーンで2時間を集中させることに何の問題もありません。冒頭とラストに電子的映像ならではの演出が用いられますが、相当な丁寧さで作りこまれた質感が陳腐さを排し、狙い通りの効果を上げています。DVDで見る限り、フィルムかハイビジョンかを気にする視聴者は殆どいないでしょう。

城勤めで経理を担当する平松正四郎(中井貴一)の自宅に、見知らぬ若い女が訪ねてくる。その女(浅野ゆう子)は自分の名もわからぬ記憶喪失状態にある様子。家扶の夫妻(井川比佐志・岸田今日子)共々困惑する正四郎は、一度は屋敷から追い出すものの、女に作為があるとも見えずしばらく留め置くことにする。主が未婚の武家若い女が住まう外聞が多少の支障をきたすものの、便宜上“ふさ”と名付けたその女は、控えめだが好ましい影響を周囲に広げていく。やがて平松家にとってかけがえの無い存在となったふさを、正四郎は妻に迎える。娘も誕生し睦まじく暮らす夫婦だったが、時折ふさの記憶が蘇ろうとする。そういう時、ふさの目はどこか遠くを見つめていた。そして・・・。
原作自体が不思議小説と呼ばれるジャンルに該当しており、ストーリーに込められた謎の解明を期待すると肩透かしにあいます。このドラマの主題はそこにはなく、平松家の人々の日常的な心情の機微を描く小さな物語。丁寧に丁寧に造り込まれたセットのなかで、きちんと見据えられた役者たちの演技がそれを可視化してくれます。
Ⓒ2008フジテレビ
ヒロイン“ふさ”を演ずるのは浅野ゆう子。原作の味わいを映像化するカギが、ふさの存在感とは誰の目にも明らか。このキャスティングに抵抗があったので視聴機会が遅くなってしまいましたが、それは杞憂に終わりました。15年前の彼女をうまく演出した監督の手腕、流石です。これなら原作の印象を損なうことはない。93年のさらに10年早くに映像化にトライできていたら、ふさを演じたのは大原麗子だったのだろうか、と思うところではありますが。
それにしても、山本周五郎は何故これほどに、人間の普遍的な真情を豊かに娯楽小説に込められたのだろう。自分が年齢を重ねるほどに、若い時期には気付かなかったドラマの厚みに圧倒されていきます。日本映画の黄金期、巨匠名匠と呼ばれた映画作家たちが、こぞって山本小説を手がけようとしたのがわかる気がします。

その木戸を通って [DVD]

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おさん (新潮文庫)

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