「幸福」1981

またまた市川崑です。1981年に制作された「幸福」。エド・マクべイン87分署シリーズ「クレアが死んでいる」を原作に、当時人気絶頂の水谷豊を起用して描いた刑事もの。小さな傑作。刑事ものながら、市井に生きる等身大の人間ドラマの構え。水谷演ずる村上刑事も妻に家出され小さな子ども二人を安アパートで育てながら捜査に加わる“大人のリアリズム”でした。各種権利関係の問題でビデオ化されずに30年近くが過ぎていた幻の作品。それを本日フィルムセンターの大スクリーンで再見することができました。幻の理由はソフト化の問題だけではなかったこと、再認識しました。フィルムの保存の問題があったのです。

この映画はカラー映像の彩度を抑制した「シルバーカラー」の映像で公開された作品です。81年の公開当時私はそれを劇場で観ています。この手法は、市川監督が1960年のベストワン作品「おとうと」で世界初採用した“銀残し”のこと。カラーフィルムで撮影しながら独特の現像手法で極力彩度を抑制し、色彩は感じさせながらモノクロのような画調と彩度の統一感を実現する方法です。「幸福」を撮るにあたってモノクロ撮影を意図した監督が、営業上の要請からカラー化を受諾するにあたって再び採用した“銀残し”。それが見事に効果を挙げている映画だったのですが、現存するポジフィルムはとっくに退色してしまい、公開当時の映像デザインとはかけ離れた品質に堕していたというのです。それが幻となっていたもうひとつの理由。それを今年、フィルムセンターとIMAGICAが81年当時の状態を再現した復元フィルムを作成したので。それを本日観て来ましたということです。

例えばこの写真は、普通にカラーで発色したものなので、スクリーンで監督の意図通りの画調を観ると印象が随分異なります。シナリオと役者の演技と編集の味わいに加えて、映像の色彩と画調の創意工夫も含めて、映画「幸福」のクオリティを形作っているのだとよくわかります。
それにしても、本作でフィルムに収められた81年の東京の風景。その後のバブル期を経て、本当に大きく変化してしまったことに気付かされます。非常に多くの建物が建て代わり、その質感がまったく異なったのだとわかります。本作の記憶は鮮明だったのですが、やはり30年近い時の流れを噛みしめずにはいられません。優れた映像コンテンツを保存することの大切さを、言葉で理解してはいました。しかしこうして自分がリアルタイムで体感した作品が失われる寸前であったことを知り、ようやく生理で実感できました。技術もコストもかかるのです。文部科学省もハコものでなく、こういう無形のコストに予算をつけるように心がけてほしいものです。

そういう技術論をさておいても、このささやかな人間ドラマの描写は見事。おそらく市川崑後期の傑作として記憶され続けるに相応しい1本です。前述の復元フィルムをもとにいよいよDVDも発売されます。映画芸術が文芸と技術の融合で完成していることを感じられる映画でした。