「曽根崎心中」1978

「この世の名残、夜も名残、死にに行く身をたとふれば、あだしが原の道の霜、一足づつに消えて行く、夢の夢こそあはれなれ。あれ数ふれば暁の、七つの時が六つ鳴りて、残る一つが今生の、鐘の響きの聞き納め、寂滅為楽と響くなりー」
近松門左衛門の傑作浄瑠璃をできるだけそのまま実写化しようと試みた映画。増村保造と白石依志夫の脚色、お初・徳兵衛を梶芽衣子・宇崎竜童。宇崎は音楽も担当。監督は意志を持って生きようともがく人間を独特の演出で描き続けた奇才増村保造。この作品を観たリアルタイムは高校3年。古典の教科書だけではわからなかったギリギリの切ないドラマを、300年ほど昔の日本人は生み出していたのだと感動しました。増村演出は切羽詰った女の情念を、意地と意志を貫くまっすぐなものとして描き出しました。

曽根崎心中 【初DVD化】

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本作は役者をあたかも人形のように動かしています。実写リアリズムとは異なる演出に乗れない人は入っていけないでしょう。けれどそれが実に厳しい迫力を生んでいます。特に特に、お初演ずる梶芽衣子の演技の強さ。大きな瞳をカッと見開き、咽喉から搾り出すように感情を吐き出す力強い演技を見ているうちに、このドラマのテーマが嫌でも浮き彫りになっていくのです。それは“意地”という感情。愛し合う二人が抜き差しならない事情に追い込まれ、どうしても恋を成就できないと悟る。そのまま成り行きを受けとめ引き裂かれ涙する運命を、自らの意地で拒否する思い。愚かで損な選択であっても、自らの、二人の意地に基づく主体的な選択。そうすることで恋を成就しようと道行に手を取り合う二人の姿。舞台に凝縮されていたテーマを映像化してみせる実験を、私は成功だと思いました。

やっぱり、極めつけはあの場面。友人の九平次に陥れられ汚辱にまみれボロボロになった実直な徳兵衛を、打掛の裾に隠して遊郭の店先の縁の下に隠すお初。そのお初に言い寄りながら徳兵衛への悪口雑言を止めない九平次。我慢の限界に飛び出そうとする徳兵衛を足で押さえ、誰にも悟られずに女郎として精一杯の反抗の言葉を叩きつけるお初。そのシーンは圧巻。人形芝居をそのまま実写映画にしても、名場面の伝える感情に差異はない。当時役者素人だった宇崎の素朴さが徳兵衛の哀感を醸し出し、一層お初の意地を際立たせる。もちろん、それを成立させるのが悪役の鑑のような九平次を演ずる橋本功のえげつない演技。もう、この場面は日本演劇史上最高の恋愛ドラマだと思います。
加えて、宇崎の音楽。今でこそ様々な時代劇にロックやジャズをかぶせることが珍しくないですが、道行のシーンにロックが流れる効果は当時新鮮でした。彼にとっても非常に大きな作品だったことは、曽根崎心中というモチーフを大事に作品化し続けていることでもわかります。
結局、悲恋ドラマの大半は、病気だの死だのに引き裂かれる恋人たちの物語。しかし“心中もの”は、自由意志の表明が許されなかった者たちが、自らの生命と引き換えに意地を貫く主体性の物語です。