いつかは来ると思っていた、その日は何気なくやってきて過ぎていく

森繁久彌氏がこの世を去りました。親しみを込めて「モリシゲ」と呼び捨てにさせてもらう。面識などなかったけれど、森繁サンにオヤジ的な親近感を抱いて育ったお尻の世代に位置する私には切ない昨日でした。
今年8月に、私にとって爺ちゃん的存在だった松林宗恵監督も逝去されました。かの「社長シリーズ」で監督と永遠のタッグを組んだ森繁社長も去り、お二人で改めて次回作の案を練られるのだろうなと、微笑ましくお見送りするくらいしかできません。

森繁&松林チーム作品の1本「連合艦隊」1981。森繁サンが使用されたその映画の台本を閲覧したことがあります。台本の左上端が一部ビリッと破りとられたページが何箇所かある。あれ、と思ってよく見ますと、それらのページには必ず赤いボールペンで筆圧強く丸印や囲みが。どうやら森繁サンは自分の出番をそうやって確認される癖がおありになったのかな、と。お若い頃はいざ知らず、少なくとも1980年当時はそうされていたご様子。これもまた微笑ましい。
この「連合艦隊」、森繁サンは手塩にかけた息子二人をレイテと沖縄海域で失う老父を演じました。僧籍と海軍従軍経験のあった松林監督が描いた戦争映画の集大成といえるこの作品。監督の想いを象徴する役を演じた森繁サン。映画のラストで、戦後の砂浜を眺めため息をつくシーンの哀切は他のどんな役者でも出せなかったでしょう。松林氏は「戦争のもたらす最大の悲劇は、親より先に子が死に行くことです」と仰ってました。そのテーマを、ひと言のセリフも用いず、息子たちを飲み込んだ海につながる浜辺の波濤を眺めるだけのショットで表現した数秒間。作家と役者の名コンビとはこの呼吸なのでしょう。
(C)1955TOHO co.,ltd
「社長シリーズ」もすごかったし、「夫婦善哉」1955の“頼りにしてまっせ”のペーソスも森繁ならではの味でしたが、寅さんとの共演もあったんですよね。「男はつらいよ純情編」1971。五島列島の頑固な漁師のオヤジさん。確か宮本信子演ずる娘が長崎あたりで一緒になった男に裏切られて子連れで出戻ってくるのに道連れでやってきた寅さん、という設定。マドンナが絡む主軸の話じゃなく、プロローグ的なエピソード。60年代の喜劇王と70年代の喜劇王がひとつのスクリーンで絡むという凄いシーン。コミカルとシリアスの混じりあった不思議なトーンで描かれたこのシーンの味わいも忘れがたいものでした。

第6作 男はつらいよ 純情篇 HDリマスター版 [DVD]

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考えてみたら私自身も結構良い歳になってきた訳で、若い頃から銀幕の向こうにオヤジ的・爺ちゃん的親しみを抱いた方々が鬼籍に入られるのも自然の摂理です。自分だってそんなに長くこっちにいられるわけでもないでしょうし。みんないなくなってしまう日は確実に来る訳です。変な事件が紙面を賑わせるので、森繁死すがトップニュースにはならなかったけれど、この国で映画が好きな人間は皆、大事に思っています。幾回りか上の世代の皆さんが大事に抱えられていた想いの断片を、必ず私たち以下の世代に受け継いで行きたいと思っています。合掌。