「HOUSE」1977

今日様々な分野で閉塞感と衰退が語られますが、とっくの昔に日本映画はその気分を潜り抜けて来ました。1950年代後半の黄金期を過ぎた日本映画興行は、TV放送本格化とレジャー多様化の中で急速に衰退。栄華を誇った大手映画会社の撮影所システム、スター・システムは崩壊し、斜陽化した1970年代。ビジネスモデルを転換しながら興行価値を維持したハリウッド映画に比して、日本映画の世界は明らかに衰弱していました。その沈滞はまさに現在の日本社会の気分に近い。それでも、松竹の「寅さん」、東映の「実録ヤクザ路線」など強い訴求力を持つコンテンツ群が生まれたり、日活が経営リスクの極小化に賭けて低コストのロマンポルノに活路を模索したりという運動エネルギーは明らかに存在しました。閉塞感の中、繁栄と成長は終焉したと見えた70年代日本映画界でしたが、そこに足を踏ん張る者たちの運動エネルギーは決して死んでいなかったのです。

HOUSE [DVD]

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昭和52年夏公開の「HOUSE」。大林宣彦氏が初めて劇場用商業映画を監督した作品。TVCFのドル箱ディレクターであり、自主映画の世界では知る人ぞ知る名監督であった大林氏でしたが、あくまで商業映画の外界に居ました。当時は、映画会社の社員として撮影所内で修行を積む以外に映画監督になるキャリアルートは存在しません(ごく僅かな例外を除いて)。彼が東宝撮影所でこの「HOUSE」を撮るに至る過程には、様々な経緯と障害と抵抗、そして関係者の熱意が存在したようです。多くのリスクを孕みながらも、当時の映画界の閉塞状況は、この才気あふれる“素人”に監督の門戸を開放する一手を試みさせたのです。

80年代半ば以降の大林映画といえば、「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」の尾道三部作を代表に叙情的で感傷美あふれる世界が人気を得ますが、70年代の彼はその“個人的な映画美”を封印しています。商業的インパクトに富んだ実験的・先鋭的な映像の魔術師としての監督デビューでした。本作も、若いアイドル予備軍の少女たちが旧い屋敷に惨殺されていくホラー物語を、大胆かつポップな映像カットのおもちゃ箱のようにして観客に差し出しました。その印象は強烈。その伝統破りの映画作法は、当時の映画批評の世界でも扱いに窮し、「こんなものは映画ではない」とまで言わしめました。
そもそも大林監督は、初監督のオファーに応えて提出した企画書に、後の尾道映画的テイストの作品案を記していました。しかし折角外部の新鋭に撮らせるのにはインパクト不足と却下され、ならばと幼い娘の夢想話を桂千穂氏と脚本化してまとめた物語でした。技巧の粋を凝らした画面設計と美術設計。全編鳴りっぱなしのゴダイゴの音楽。手作り感覚に富んだ特撮の大盤振る舞い。大胆な省略と飛躍だらけの編集。今見てもとんでもない1本。それでも大林映画を貫く“死せるものへの想い”という叙情性がシナリオの竜骨となっていて侮れません。破天荒ながら若い観客に強い印象を残した本作は、大林起用をビジネス的に成功との評価を得ます。関係者は賭けに一定の勝ちを収めたのでした。
ハウス オリジナル・サウンドトラック

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本作の再評価は、近年米国で進んでいるようです。和製ホラーの再発掘を目論む米プロデューサーが本作を垣間見、リメイクも視野にこの“新鋭監督”への面会を求めて来訪したそうです。30年以上前の映画とは思わなかった某氏は、絶対に本作の監督は20代と思い込み、70代になる大林氏を眼前にして絶句したとのこと。それほどに本作の感覚は若い活気に満ちています(それでも当時の大林氏は40前、決して若くは無いのです)。
「HOUSE」が開けた風穴は小さくありません。1978年以降、撮影所育ちでない監督が次々と商業映画を担い始め、その中から名作傑作と呼ばれるものも生まれます。それから30年を経て日本映画は華やかなビジネスではありませんが、それでも70年代の閉塞感の中で消滅することはなかったのです。そのエンジンはやはり、ジャンルの中にある創造の熱意だと思うのです。創造・創作は本質的に未来を志向します。映画コンテンツは人間生活の必需品ではないが、それでも価値ある商品だと信じる人間が未来に向かって動く熱意がジャンルの希望を生むのです(今やTVのビジネスモデルが急速に失速しているもの時代の必然と皮肉ではありますが)。
大林氏の監督登用に際し、東宝の社員監督会では反対運動もあったそうです。それを内部で沈静化した要素のひとつが故岡本喜八監督の言葉だったと聞きます。「撮影所出身の監督にしか作品を撮らせないことで日本映画の質を守ってきたが、それだけではヒットする作品が生まれなくなっているのも事実。新しい可能性のため、ここはひとつ撮影所の門戸を開いて外部監督の手並みを見てやろうじゃないか」という趣旨だったとか。
旧来型の思考や仕組みが機能しなければ何事も閉塞します。新しい希望を生み出そうと思えば、突破口を開こうと試み続けることしかありません。2009年は、不況と雇用不安を政権交代が棚ボタ的に解消することなどないとの自覚で暮れました。2010年は、旧弊を打開して新しい未来に向かう試みを継続する意志の自覚で始めるしかありません。希望とは未来に向かうことでしか生じない感情なのですから。