「氷雪の門 樺太1945年夏」1974

終戦の年、8月15日を過ぎたにも関わらず樺太で起きた最後の地上戦。ポツダム宣言を受諾し無条件降伏をした日本ですが、8月23日頃まで他国の軍隊に領土を蹂躙され一般市民の殺戮が行われていた事実を、多くの日本人が知りません。本作は、樺太の悲劇の中でも比較的有名なエピソードである、真岡郵便局の9人の電話交換手による集団自決事件を主軸に描いた36年前の映画でした。しかも驚くべきことに、本作が本格的に劇場公開されるのは今年が初めてです。

1945年8月9日、長崎に2発目の原子爆弾が投下された日、ソ連(当時)は日ソ不可侵条約を一方的に破棄して満州および樺太への軍事侵攻を開始。丁度日本政府はソ連を仲介役にした和平工作を水面下で交渉中であったために、帝国陸軍は積極的な防衛攻撃を行えない。それに乗じたソ連軍の侵攻は8月15日を過ぎても止むことがありませんでした。樺太各地の婦女子に緊急の本土疎開措置がとられますが、終戦詔勅と同時に日本全軍には即時戦闘行為停止命令が出ます。樺太在住の市民たちは、まったくの無防備状態で国際法違反で侵攻するソ連軍から逃亡せざるを得なくなってしまいました。
樺太西海岸の真岡町、その郵便局に勤務する若き電話交換手たちのうち9名が、最後まで通信回線を守るために勤務を続けます。そして8月20日、真岡を蹂躙するソ連軍を眼前に、彼女らは集団自決を選びました。その碑は宗谷岬に建立されています。彼女らが発した最期の通信、「皆さん、これが最後です。さようなら…」という碑文が刻まれています。

さて、本作は、1974年という平和ニッポンの真っ只中で企画制作された映画です。キャストの豪華さや、ソ連軍戦車隊の侵攻を再現するために自衛隊の全面協力も得ているなど、当時としても大作の部類に属す立派な建てつけの作品です。にもかかわらず、この映画はメジャーの映画興行が実現していません。当時地方の東映洋画系で1週間ほど興行されたのみで、完全にお蔵入りとなったのです。理由は、外務省と文部省に対するソ連大使館からの抗議でした。「反ソ連的な内容の映画興行はいかがなものか」という訳です。それはそうでしょう。本作の脚本がすべて客観的な視点で記されているとは言えませんが、ソ連軍の国際法違反の暴挙は明らかな歴史上の事実です。実際に映画を観ても、ソ連軍の描写がことさらに誇張されている印象はありませんでした。メジャー大作ゆえに残虐描写を控えているため、決して贔屓目という訳ではありません。それでも、国家レベルでその表現に圧力をかける人々は世界に存在しているのです。
結果、当時の日本政府はその要求を呑み、多くのマスコミも問題を世論に問うことをせず、本作は事実上封印されました。戦後間もない占領期とは違います。高度経済成長を経て、日本中が平和と自由を謳歌していた時期に起きたことです。しかし、36年後の現在、同じような問題が起きないとは限りません。ひょっとすると現在のほうが脆弱なのかもしれません。

Ⓒ「氷雪の門」上映委員会
東京渋谷のシアターNで公開され、小規模ながら全国ロードショーという展開です。ただし、本作のオリジナルフィルムは既に消失しているため、ビデオに起こしてデジタル処理をしたのち再度フィルム化したものです。したがって、大型プロジェクターでVHS再生を観賞しているような質感という難点があります。ドラマの悲劇のみならず、これだけの想いと努力が結晶したクリエイティブが、二度と本来の質感を取り戻せないことが哀しいです。
さて、樺太の悲劇を理解するには、本作を観賞するのが近道ですが、その上でお薦めしたいのが、倉本聰が1976年に書き下ろしたTVドラマ脚本「幻の町」(東芝日曜劇場)。これについては4年前に記したページがありますので、以下のリンクをご参照願えれば幸いです。
http://d.hatena.ne.jp/kaoru1107/20061119