「モールス(LET ME IN)」2010

オリジナルであるスウェーデン映画「ぼくのエリ」2008は断片的にしか見ていませんが、このハリウッドリメイク版は今年の初めから公開を心待ちにしていました。米国の興行成果が振るわなかったそうで、今を時めくクロエ・モレッツ主演ながら都内でも上映館が非常に少ない扱いです。さて、私は十分に愉しめましたし評価できる作品になっていました。「クローバーフィールド」で非凡な才能を発揮したマット・リーヴス監督の腕前が感じられる秀作です。

内気で傷つきやすい思春期の少年。隣家に引っ越してきた謎めいた美少女。雪深く閉鎖的な街と人々。少年期の淡い初恋物語に定番の設定です。そこにヴァンパイア・ホラーをミックスした物語。立て続けに制作されたスウェーデン版・米国版の2本の映画は、主人公二人の交流に描写を絞っており、大枠として同じ構成といえるでしょう。それでも細部の描きこみにはそれぞれの事情と判断による変更が加えられていて、鑑賞後に心の底に残るものの印象が微妙に異なるバリエーションになっていました。

英語版シナリオに目を通しましたが、マット・リーヴスの構成力の堅実さに感心しました。オリジナル版が先行作品としてあるにせよ、娯楽映画の王道の構成を軸にした上で主人公である少年少女の感情の切なさ、醸し出す抒情を最大化しています。さらに注目は、最終稿にあったドラマ後半の説明的な描写を、潔く削除して編集している点。原作やオリジナルのファンには物足らなさに映るかもしれませんが、私はこの方が好き。物語の抒情性を純化する方向に働いていると思うからです(詳細の記述はネタバレになりますので割愛します)。
そういう編集上の判断を支えたのは、明らかに主演2人の存在感と表現力。クロエ・グレース・モレッツもコディ・スミット‐マクフィーも本当に素晴らしい。シナリオでも二人のセリフの量は少ないものです。二人は微妙な表情と佇まいで心理的ドラマを最初から最後まで支え切っています。

この映画、いわゆる“純愛物語”という惹句です。それは間違いないのですが、表面的なコメントに過ぎません。幼い恋心はエゴイズムに根ざしがちという点を本作はきちんと描いてくれていまして、実はここが結構シビアな残酷さを伴って感動を残すわけです。ところがそこは具体的な説明描写が思い切り省略されていますので、一見同じように感動した鑑賞者の間にもその受け止め方には差異があるだろうと思います。例えば本作のヒロインは、本当に少年を愛しているのでしょうか? ここが曖昧に突き放されているからこそ、本作の抒情性はべたついた甘さに堕さず、硬質で怜悧な彩りを纏うのです。ここに作者の非凡があると思っています。

江戸川乱歩全集 第5巻 押絵と旅する男 (光文社文庫)

江戸川乱歩全集 第5巻 押絵と旅する男 (光文社文庫)

この映画から想起した日本のコンテンツ、江戸川乱歩の「押絵と旅する男」です。
物語の具体性はまったく異なりますが、主人公の少年(「押絵…」では男)が抱く純愛の性質は共通します。極論してしまえば、これらに描かれる少年の恋心は、純粋なエゴに根ざしています。そのエゴは対象への奉仕に転化する訳ですが、彼らは決して対象のためにではなく、自らのために対象と共に旅することを選択する訳です。一方対象側の心情はどうでしょうか? 乱歩の短編は文字通り“押絵の女”でしかなく、そこに感情も思考も存在しません。では「モールス」ではどうか? ここがシナリオの秀逸な部分ですが、ヒロインはそこを一切語っていません。彼女の心情は、クロエ・モレッツの見事な演技に託されていますので、そこに不純を見取ることは難しい(演出の意図)。ただ、そこに生存のための打算が込められているかもしれず、そこを総合して判断するには、内気な12歳の少年はあまりに幼い、という残酷な物語も見えてくるわけです。ここに、映画「モールス」と乱歩の短編との共通項がしっかり浮かび上がってきます。・・・うーん、こんな感想を抱く洋画ファンがいるわけもありません。いささか筆が過ぎました。
MORSE〈上〉―モールス (ハヤカワ文庫NV)

MORSE〈上〉―モールス (ハヤカワ文庫NV)