「幸福」1980

8月21日、俳優竹脇無我氏が亡くなりました。70年代のTVドラマ黄金期には清潔で知的な二枚目として活躍されていて、私たちの世代には本当になじみ深かった。奇しくも名脚本家向田邦子氏の急逝は30年前の8月22日。竹脇氏は向田ドラマの常連のひとりでもあり、人間の縁というものでしょうか。合掌。
この二人が組んだ代表作のひとつが「幸福」。TBS金曜ドラマ枠で13回連続。同年に同名の短編小説としても発表されていて、ドラマ執筆時に並行して記されたのでしょう。私は近年TVドラマを殆ど観ません。理由はつまらないからです(勿論嬉しい例外もたまにはありますが)。1970年代から80年代前半頃、日本のTVドラマ・TV映画は現在とは別格の高品質な黄金期。私は幸運にも感受性豊かな時期に、その頃の珠玉のコンテンツをいくつも体験できました。その中の代表的な作品がこれ。

幸福―向田邦子シナリオ集〈3〉 (岩波現代文庫)

幸福―向田邦子シナリオ集〈3〉 (岩波現代文庫)

このシナリオを幾度読んだことでしょう。初放映時の記憶しかありませんが、読むたびに全てのセリフに当時の俳優たちの口調と息遣いが蘇ります。物語の設定は本当に地味な人情劇でしかありません。風采の上がらない工員と年の離れた妹と、その工員を愛するもう若いとは言えない対照的な性格の姉妹。そこに姉妹の老父の奔放さ、姉に惹かれる男たち、主人公の工員の生き方を否定する企業人の兄が絡む。ジャンル的にはホームドラマの類型に当てはまるかもしれません。表面だけを眺めればよくあるラブストーリー。ただこのドラマ、人間の「性と幸福」をテーマとして強烈なものを魅せてくれます。エグい程に感情の内面をあぶり出す名場面のオンパレード。少々不格好でもその圧倒的な表現力に感嘆させられます。よくぞこんな場面、こんなセリフを書けるものです。向田邦子は本作放映の翌年に飛行機事故に巻き込まれる訳で、今から思えば才人がその晩年に力量を結晶化したかのようです。

優柔不断で万事いい加減ながら心の中に清冽な情念を抱く主人公:数夫を竹脇無我。彼を不器用にも一生懸命全身で愛そうとする素子に中田喜子。数夫の兄に捨てられた過去があるものの、心の底で数夫を思い続ける素子の姉:組子に岸恵子。組子に惚れて自分の店のママに据えているオーナー八木沢に津川雅彦。厳格な校長職を終えたあとで性に奔放になって家出していた組子・素子の老父に笠智衆。数夫の生き方に対立し、組子と数夫が愛し合う局面を結果的に作り出した兄:太一郎に山崎務。彼らの秘めた性愛を軸にした葛藤を見つめて成長していく数夫の妹:踏子に岸本加世子。・・・何とも贅沢極まりないキャスティング。それでいてこんな地味でエグい人間臭いドラマが全国ネット民放ドラマで放映されていたのです。
竹脇演ずる主人公を寡黙な男に設定しているため、語り部というか狂言回し的なポジションを津川雅彦が演じているのですが、これが絶品。大半の名台詞が彼のセリフとして記されている上に、この頃は名優というより怪優だった津川氏の口調とテンポに酔わされます。それだけでも見どころなのに、笠氏、山崎務氏、大女優岸恵子の存在感まで後押ししてきます。こんな連続ドラマは二度と再現できません。
幸福 [DVD]

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人間の幸福感は、ある部分性をめぐる情感に大きく左右されます。その真実について、丁寧に人生の断面を掬い取っていくところに、向田邦子のテーマがありました。本作はそれが粒だった代表作として紛れもないものでしょう。
「胸に、一粒の真珠を抱いていたればこそ――小汚い作業服も、油臭い手も、安い月給も、地位も肩書もない、いまの暮らしも、あんた平気だったんだよ」これは津川演ずる八木沢の第9話のセリフ。未見の方は当然わからないわけですが、このセリフが記されているシチュエーションのエッジの立ち方は半端ではありません。一生に一度、こんな場面を創作できたら悔いはないと思えます。
向田邦子没後30年に竹脇無我も世を去りました。あの頃の“旬の味”を知っている世代なりに、その本質を、作家や演者の魂のようなもの受け継いでいきたいものです。