「帰ってきたウルトラマン/許されざるいのち」1971

完全無欠な無敵のヒーロー、ジェームズ・ボンドが傷だらけの人間へとリニューアルした様を見て、連想したのがウルトラマンウルトラマンは宇宙から来た銀色に輝く無敵の超人。1966年TV画面に登場した初期シリーズで彼はまさに完全無欠。子どもたちは実社会の人間と全く異なる超然とした強さに憧れ羨望した。その5年後に製作された「帰ってきたウルトラマン」で、彼は最早ただの超人ではなかった。

DVD帰ってきたウルトラマン Vol.9

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高視聴率だった「ウルトラマン」の夢よもう一度とリメイクに挑んだTBS。しかし「帰ってきたウルトラマン」の制作時は、高度成長の夢に挫折した70年代に入っていた。子ども番組とはいえ、科学と宇宙の申し子を万能のヒーローとして描くことはできなかったのです。映画が時代の産物である不思議。70年代以降、ブラウン管に映し出され続けたのは、傷つき苦悩する“人間ウルトラマン”でした。
「帰ってきた…」の主人公は、下町の坂田自動車工場の一家に居候してレーサーを目指す青年、郷秀樹(団次郎)。彼は怪獣に襲われる子どもと子犬を救い命を失った。M78星雲の宇宙人ウルトラマンはその行動に感動し彼と同化。郷は奇跡的に蘇生し、怪獣対策チームMATの隊員となって怪獣退治に大活躍…。という物語の骨格ですが、放映開始後1クールに特徴的な展開を見せました。まず主人公の自意識が肥大します。郷秀樹は、いざとなればウルトラマンに変身すればよいと慢心、それゆえに手酷い失態を演じてしまう。さらに彼の超人能力で知覚した現象は周囲の仲間には認識できず、対立孤立を深めてしまう。加えて変身能力は自由意志で制御できず、人事を尽くして忘我の状態になって初めて可能になる。ウルトラマンですら、少しばかり能力の秀でた普通の男に過ぎない。そこからどうやって超人として活躍し得るのか、それを描こうという試み。当然ながらそんな描写が年少者人気を勝ち取るのは難しく、視聴率苦戦の結果テイストは薄まっていきました。それでも、いったん人間界に降りたウルトラマンは、今日に至るまでずっとそこにいます。
「許されざるいのち」は第34話(1971.11.26放映)。当時既にコスト高騰の影響で特撮映像はチープ化が進み、精密なミニチュア崩壊の映像魔術を楽しむことは子ども心に諦めていました。その分、演出は一般映画っぽいドラマ性を高め、この回はその好例です。
植物と動物の遺伝子が融合したことにより出現した怪獣レオゴン。それを生み出したのは郷秀樹の幼なじみの生物学者、水野だった。偉大な学者だった父親へのコンプレックスを乗り越えるため、水野は禁断の実験に手を染めていたのだ。怪獣の遺伝子を分解する放射線の照射は彼にしかできない。真相を知った郷は水野を説得する。翌朝、湖に佇むレオゴンを包囲したMATは水野に分解線の照射を促す。しかしすべてを費やした“愛しい作品”を殺せない水野は、自殺覚悟で怪獣のもとへと入水する。それを止めようと湖に飛び込む郷。その二人のカットバックに、PYGの「花・太陽・雨」がBGMとして叩きつける(!)。
PYG!

PYG!

さらに、映像は郷と水野の小学校時代のイメージショットを畳み掛ける。校庭を駆ける二人の少年、砂場の相撲、水飲み場の戯れ…。青年後期の主人公たち、そのひとりは超人ウルトラマンなのに、ドラマは彼らの切ないノスタルジーの情感を描き出す。その間70秒。これは私の映像体験の中で鮮烈な記憶です。ヒーローが苦悩しうる人間に引きずられた“人間ウルトラマン”の成果のひとつ、だったと思います。
因みに、PYG(ピッグ)は、1971年に結成された奇跡的なバンド。ザ・スパイダースから井上堯之大野克夫。ザ・テンプターズから萩原健一大口広司ザ・タイガースから岸部一徳沢田研二。こんな豪華な布陣ながら、当時の世情では商業主義に傾斜しすぎるといった批判もあって、一般的な人気を持続できず短命に終わった時代の仇花でした。「花・太陽・雨」は、このバンドの最良の楽曲のひとつ。「許されざるいのち」のシーンを永遠に語り継がせるレバレッジとなっています。