「天下御免」1971〜1972

日本の各家庭にテレビ受像機が本格普及したのは1960年頃から。敗戦の傷跡を乗り越えた新時代を実感させる2つの国民的イベント、皇太子御婚礼と東京オリンピックが普及の追い風でした。1970年の日本万国博覧会の頃にはカラー化が大きく進み、現在のTV番組のバリエーションは殆どできあがっていたと言えるでしょう。ちょうどその頃、TVドラマの世界で生じたコンセプトのひとつが“脱ドラマ”でした。そう呼ばれる作品群のひとつに数えられてもよいだろう傑作のひとつが「天下御免」。金曜夜8時の時間帯で1年間放送されたNHKドラマでした。

天下御免〈1〉 (早坂暁コレクション)

天下御免〈1〉 (早坂暁コレクション)

江戸に出てきた若き平賀源内を主人公に、歴史上の実在人物と架空の面白キャラを絡み合わせた虚実皮膜の軽妙快活時代劇。江戸時代の史実を縦軸に、昭和の高度成長期の社会矛盾への問題提起を横軸として、ギャグからシリアスまで描写の幅が非常に広い作劇と演出が印象的でした。スタジオにてビデオ収録する時代劇でありながら時には現代のリアル映像をインサートし、当時の都知事まで出演させる大胆さで、ドラマと報道とバラエティの垣根を越えながら描いて行こう、だってそれがTVメディアの武器なのだからという気概が感じられました。いろんな見解はあるでしょうが、例えばそういう感覚が“脱ドラマ”と呼ばれた運動だったと思います。

主役の平賀源内(山口崇)は、文理を修め偏見のない合理的思考で社会に切り込む行動派の貧乏学者として描かれます。そこに鼠小僧を気取った稲葉小僧(秋野大作)、若きオールドタイプ侍、小野右京之介(林隆三)、杉田玄白坂本九)らがチームを組み、享保時代の江戸庶民の日常から社会矛盾と向き合い、時には田沼意次仲谷昇)の政治の在り様にも一矢報いたりといった葛藤が描かれる。当時小学生だった自分にとって、日本史バラエティ的な楽しさでわくわく観ていたことを思い出します。挿入歌だって諳んじてますもの。
個人的には近代化の兆しの中、旧来の武士道モラルにこだわる右京之介のキャラが大好きでした。演ずる林隆三のもつ優しい不良性も好感を増幅させたのですが、学問の進取に興味はなく古い時代のモラルを抱えるキャラながら、若者らしい素直な感性で源内や玄白と同様に社会問題に切り込んでいく存在が印象深くもありました。
メインライターは早坂暁氏。この歴史バラエティ的な作劇は粗削りながら完成度高く、視聴率的にも大成功でした。当時私はこれを観てたので「太陽にほえろ」のショーケンをオンタイムで観てません。5年後に早坂暁脚本で「必殺からくり人」が放映され、本作と同じスタンスの作劇が味わえたことも愉しい記憶です。本当に面白かった。
でも当時、放送用ビデオテープは高価な素材だったこともあり、NHKも保存録画は行っておらず現存するオフィシャルな番組映像は皆無。信じがたいことですが当時としては自然なことです。TV映画ならフィルムが存在する訳ですが、電磁信号でしかないビデオは上書きされた時点で消去消滅してしまいます。現在放送ライブラリーに保存公開されているものは、主演の山口崇氏が個人的に収録した第一話と最終話の一部。ネット上では個人的な収録の発掘を呼びかける声が結構ありますが、家庭用ビデオの一般普及は1980年頃からですのでまず難しい。残念ですが残像はオンタイムで観た人間の脳内にのみあり、です。

TVドラマの作劇と描写のあり方は、映画のエピゴーネンとして始まりました。画面サイズも画質も映画に劣るTVドラマは映画の劣化版的代替物との認識だったのです。しかも、1980年代までTVは一家に1台ものの家電だったことから、家族みんなで視聴するという特性がありました。加えてCMによる描写中断やチャンネルザッピングという特性も絡み合い、この独特の映像メディアでどう物語るかの手法・作法は新進の創作者たちによって世界中で模索されます。
「劇場映画が本道で、TVドラマはワンランク下」そう呼ばれた時代がありました。しかし、だからこそ新しいコンテンツのスタイルが実験できる創造できると意気込むクリエイターたちの格闘が始まったのです。それが1960年頃から1970年代、例えばヒチコック、チャエフスキー、リンク&レヴィンソン、木下恵介和田勉今野勉etc…、多くの才能がTV独特のドラマ可能性を追及しました。その流れの中に、いわゆる“脱ドラマ”もあったのです。
天下御免」という不思議なTV時代劇は、その試みの楽しい成功例だったと思います。本作の作者たち演者たちには、そういう新しい面白さを創ろうという熱気が明らかあり、それはオンタイムで視聴した小学生にも伝わりました。私の中に映像コンテンツを面白がる基準を作ってくれた作品のひとつが本作です。
さて、当時夢の技術と語られていたハイビジョンTVは一般家庭に普及、大画面化も高画質化も進みました。個人視聴スタイルも大幅に増え、さらにはTVCMの視聴率を軸にした民間放送ビジネスモデルが凋落の一途を辿っています。一方ではウェブとTVとモバイル情報端末は渾然一体となっており、映像メディアの在り方はこれからの10年で大きく変化します。2010年代の創作者たちが生み出す新たな“脱ドラマ”とはどういうものか期待したいところですが、果たして現在のドラマ・映画業界にその気構えはあるのでしょうか?