[サ行/邦画]「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」2008

1972年2月28日、あさま山荘に警察機動隊が突入する日のTV中継映像は、長崎県佐世保市の小学校の教室で見ていました。当時の担任教諭の思想的立場など知る由もありませんが、授業を2コマ潰した記憶があります。それだけに記憶に鮮明な事件映像でした。しかし、学生運動のピーク期に幼少期だった私は、若者の革命思想や左翼的イデオロギーには不思議なほど接点がありません。“連合赤軍”という呼称が一体何を指し示すものか、まったくわかっていませんでした。あの巨大な鉄球が別荘の外壁を打ち抜く映像ばかりが記憶に留まっていました。

写真はすべてⒸ「実録・連合赤軍」製作委員会
70年代の日本映画をリードしたひとり若松孝二が執念で映像化した本作。徹底して低予算で撮られたことは明らかなのに3時間を超える上映時間を長く感じることはない。冒頭のテロップが示すように、描写されたシーンのほとんどが事実そのもの。演出者と演技者の多少の解釈は加わるし、証言者自身の主観が混じる記憶がベースであるので、完全な事実再現などあり得ない。しかもこれは劇映画、ドラマとして描写しているのです。それでも、すべて実名で描かれたこのシナリオの重量感は凄い。面白いとか、感動する、とかとは全く異なる映画体験が味わえます。その意味で、これは傑作です。

本作のクライマックスは2つ。ひとつはタイトルのあさま山荘立てこもりを、山荘内部のみの映像で描ききる文字通りのクライマックス。そして圧倒的なもうひとつが、映画中盤の大半を費やして再現された“山岳ベース事件”。1971年12月から72年2月にかけて、当時の連合赤軍リーダー森恒夫永田洋子が主導した集団リンチ殺人。同志と呼び合う若い男女が残虐に互いを死に至らしめた総数16。時の警察庁長官も事件の概要を聞いて絶句したという事態を克明に描き出している。あの冬、あの山中で何か起きていたのか。ここを見るだけでも本作の価値はある。ただし、もの凄い不快感を覚悟してではあるが。いまだに仕事で“総括”という言葉を使うのには抵抗があるのです。そのひっかかりは、この事件に根があるのです。
あさま山荘事件終結後、72年3月に事件の全貌は報道されました。先鋭的な革命思想の若き闘士が極めて愚かな惨殺者でしかなかった事実は、日本中から極左暴力への同情を消し去って行きました。当時仲の良かった友人のY君の家の縁側で、新聞を見ながら彼に解説してもらった記憶があります。前述の通り、当時の私はまったく何もわかっていませんでした。折角の友人の解説も、右から左へスルーしていました。それにしても、人間のコミュニティはいっつもこういう馬鹿げた事態を引き起こしてしまうものです。特に理念で結ばれたミニ社会ほど、この罠に陥ってしまう。この山岳ベースの悲劇は、あまりにも醜悪であまりにも愚かしい。人間の存在に絶望したくなるとはこのことです。それなのに私たちは、その20年後にオウム真理教事件で同種の罠にはまりました。まったく人間というものは、です。

実録・連合赤軍 あさま山荘への道程 [DVD]

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映画の持つ力量を再認識させてくれた本作、あの時代に遅れて来た世代には見る価値がある1本です。