亡国のイージスと皇帝のいない八月

昨年期待していたのに見る機会がなかった「亡国のイージス」をようやく鑑賞。

亡国のイージス [DVD]

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うーん。満足度のボルテージが上がりそうで上がらずに終わった実感です・・・。力作なんですがね。
キャストは文句なし、セットも豪華、派手なアクションも特撮もきっちりあって、骨太なアクション+ポリティカルフィクションとして、見応えはあります。間違いないです。真田広之による和製ダイ・ハードとして成立していました。
それで、何が物足りないのか?

やはり、こういう現実社会に引き付けたクーデターものは、現実の一歩先に物語を展開すると、観る者がドラマに引っ張られるのではないかと思います。
日常の水面下に、こんな危機意識が横たわっていたことに気付かされるといったような。

でもこの5年間くらいで私たちは、日常の中でとんでもない現実を見せ付けられています。9.11のNYしかり、拉致問題しかり。
この映画でも、中井貴一演ずるイージス艦占拠のキーパーソン(痺れるようなハードな演技!)について、登場人物の誰も“北”という具体的な国名を呼ぶことがありません。商業映画の限界なのかもしれませんが、例えばこの1点においても現実の方が映画のフィクションを超えてしまっている訳です。
私たちは、案外こういった、現実とフィクションとの距離感の中で、物語を楽しむ存在なのかもしれません。


思い起こすのは「皇帝のいない八月(78年)」。

あの頃映画 「皇帝のいない八月」 [DVD]

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映画としてはどうにもゴテゴテとつながりが悪くなっていて、傑作とまではいかなかったですが、渡瀬恒彦演ずるクーデター首謀者たる元自衛隊員のキャラクターは、当時の若者にとっては現実の半歩先くらいに存在して、何とも引き付けられた印象がありました。
亡国のイージス」にも、そういう存在感があったら大きなプラスアルファが得られたかもしれないです。
「皇帝のいない八月」では、映画中盤のクライマックスで、渡瀬恒彦と山崎務の二人による、とびっきりの名場面がありますが(未見の方はぜひご覧下さい!)、そういうケレンが欲しかったともいえますね。

と、いろいろ記しましたけど、私はこういうポリティカルフィクションが大好きなんです。
最近は、“喪った愛する人が一時的に甦る”映画ばかりが多かったので、「亡国のイージス」みたいなお話が、きっちり存在するのは嬉しいです。

※「皇帝のいない八月」は私が一番好きな映画タイトルなんです。そこから日記のタイトルを作らせていただきました。