Webの上にて借景の “花見”

このところ忙しくて、なかなか休む間がありません。
そんなに仕事するのが好きな訳ではないのですが、こういう時期もたまにあります。花見の時期も、指をくわえて葉桜への移行を眺めるばかりでした。

せめて綺麗なPhotoでもと検索しましたら、ドンピシャな一枚が。


満開の桜と、野に広がる菜の花。

Photo by (c)Tomo.Yun(写真一部除きすべて) http://www.yunphoto.net


花を育てる訳でもなく植物図鑑にも縁がない私ですが、この2つの花景色には心奪われます。その両者が画面いっぱい。
ディスプレイ上でも、借景でも、花見は花見。




満開の桜に陶酔する民族は、地球上で日本人だけなのでしょう。

何故そうなのか、いつからそうなのか。
確かめる術もありませんが、年齢を重ねるにつれその思いが強まるのも不思議。
多摩に住む素敵な友だちの、4月に生まれのご長女のお名前は“桜子”とのこと。その美しい名の学生さんは、今は私の後輩なのだと最近教えていただきました。





でも春の花景色で、実は一番好きなのが、菜の花畑。


          “菜の花や 月は東に 日は西に”   蕪村


昔から、菜の花畑には心惹かれてならないものがあります。
華やかで短命な桜は高貴さと無常感を見上げさせるのに対し、地道で柔らかな根強さと鮮やかさを水平に広げていく菜の花。


桜吹雪の舞の中に、恋するひとを置く切なさ。
菜の花畑に埋もれながら、愛しいひとと手をつなぐ安らかさ。
どちらもいとおしい心情。


そして、韻文に疎い私でも、心から離れない山村慕鳥の「風景」。

              いちめんのなのはな
              いちめんのなのはな
              いちめんのなのはな
              いちめんのなのはな
              いちめんのなのはな
              いちめんのなのはな
              いちめんのなのはな
              かすかなるむぎぶえ
              いちめんのなのはな
              ・・・・

こう続いていく詩歌。そう書かずに入られなかった気持ちは痛いほど。

そういえば、この詩は、新井素子の「グリーン・レクイエム」のモチーフにも使われていましたっけ。


映画とは別の話の日記になりました・・・。ご勘弁の程を。