「ウルトラマンメビウス」2006〜

kaoru11072006-11-04

現在TBS系で放映されている「ウルトラマンメビウス」。なかなか観られないのですが、先週観てちょっと驚きました。

地球を守りに来た宇宙人“ウルトラマン”は、平時は防衛チームの一員の姿を借り、有事に変身するのが黄金のフォーマットで、過去40年間多少の変化はあれ最終回まで守られていました。
ところが、このこの最新作「メビウス」では、まだ放映期間中盤にもかかわらず正体の暴露が行われていました。軽い驚き。正体の暴露は大抵ラストの見せ場でしたので、主人公と周囲の人々とのその後の関係性は描かれませんでしたが、この番組ではそこに挑戦するようです。

ウルトラマンメビウス Volume 1 [DVD]

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で、今週の放映をチェック。
どうやら、地球防衛チーム(GUYS)のメンバーたちは、主人公のウルトラマンメビウス=ヒビノミライを、仲間の一人として正体を知る前と変わらぬ友情を維持する方向で物語を進めるようです。従って今回以降、防衛チームの仲間たちはウルトラマンの姿に向かっては必ず「ミライ」と呼びかける演出になっています(これは「ウルトラセブン」最終回で生まれた手法)。
なかなか熱くさせてくれる展開で、子ども向け番組の作り手の熱意は衰えていないなとうなずかされました。

さて、この展開を社会的にどう考えるかですが…。
ウルトラマン”の物語フォーマットは、作者たちの意図にかかわらず日米安保の暗喩になっていたと「刑事ジョン・ブック」の項でも書きました(2006年10月11日参照)。地球人類の力では解決できない強大な暴力に対抗してくれる、強力な宇宙人の助力。
これが、“ウルトラマン=米国太平洋艦隊”の構図でした。しかも、その助力はウルトラマン側の一方的な善意に基づくため、守られている側はあまり痛みや負い目を感じなくても済むのです。

今回、正体を明かしたウルトラマンは、防衛チームの仲間の一員として改めて友情の輪の中に組み込まれました。
これによって、守る側守られる側の力のバランスを気にすることなく、それぞれの実力に応じて連携共闘するチームワークの物語が生み出されるのでしょう。
今週の放送でも、ウルトラマンの窮地を救うべく“仲間としての友情に基づいて”敵を攻撃する防衛チームの姿が熱く描かれています。
つまり、これは“集団的自衛権”の暗喩になっています。

憲法改正議論の中心テーマも、こういう切り口で考えることができるということです。戦後60年を経て、日米安保体制も変化する時を迎えているということだと思います。

社会に対する外からの暴力にどう対抗するかという問題も大きいですが、社会の内なる暴力もあります。
例えば、“いじめ”という陰湿なる暴力の問題。これをどう捉えるか、という点でも、ウルトラマンは興味深い展開を見せています。

DVD帰ってきたウルトラマン Vol.9

DVD帰ってきたウルトラマン Vol.9

1971年11月19日に放映された「帰ってきたウルトラマン」第33話『怪獣使いと少年』。差別と人権、個人の尊厳といじめをモチーフにした作品でした。

街外れの川原にある廃墟に住むひとりの少年が学校へも通わず毎日穴を掘り続けていた。身なりも不潔な少年は街の人々から宇宙人と噂され疎まれていた。現に彼の周囲では超常現象も起きていた。彼は近所の中学生らに酷くいじめられており、大人たちも気味悪がって彼を敬遠する。
しかしウルトラマン=郷秀樹の調査の結果、少年は炭鉱不況の果てに両親を失った孤児でありエイリアンではなかった。やがて廃墟の中に瀕死の老人を発見した郷は、老人が宇宙人であり行き倒れ寸前だった少年を助けここに住まわせたこと、環境汚染が老人の体力を急速に奪ったこと、少年は彼が地中に隠した宇宙船を掘り出そうと穴を掘っていることを知る。少年は老人を救うためにも掘り出した宇宙船で一緒に彼の母星に飛ぼうというのだ。
その頃偏見と不安が高まった街の人々が廃墟を襲撃。竹槍と石つぶてを手に人々は少年を引きずりまわす。少年をかばって姿を現した老人に警官の銃弾が撃ち込まれ、老人は少年と郷の前で絶命。そして川の向こう岸に、老人の超能力で封じ込められていた怪獣が出現、街を襲い始める。人々は、今度は郷に「早く街を守ってくれ」と訴える。
“誰がお前たちのために闘うものか…”とつぶやき変身しようとしないウルトラマン…。
結局はウルトラマンとして怪獣を倒した郷だったが、数日後、やはり宇宙船を探して穴を掘る少年を見る。
その少年の姿に「彼はこの地球に早くおさらばが言いたいのさ」という郷のナレーションがかぶりEND。

こんな内容が子ども番組として放映されたこと自体が奇跡的です。
実際、この作品を演出した東條昭平監督、脚本の上原正三氏は、TBSでの試写後に大目玉を喰らい、しばらく仕事を干されたと聞きます。 いじめと迫害シーンの冷徹さは、子ども番組のコードをきっと逸脱していたことでしょう。(脚本段階ではもう少し穏当な表現だったのですが、放映された映像の方がエッジが効いていました。)
70年代という時代の一端だったのだとも言えます。上原氏は沖縄出身でもあります。

このエピソードについては多くは語りません。当時小5だった自分にとっても印象的な“子ども番組”でした。お子様向けと侮ってはいけません。
少しでも関心を持たれた方は、是非実物をご覧いただければと思います。(DVDもレンタル出ています。この第33話はvol.9に収録されています。)

ここまで書いていたらまたびっくり。来週の「ウルトラマンメビウス」は『怪獣使いの遺産』と題して、このエピソードの続編となるとの予告がありました。何という偶然。
おそらくこんな過激な内容にはならないと思いますが、ちょっと興味深いです。きっと作り手は同世代なのでしょう。