映画とは別の話をⅤ : 2月14日のこと

kaoru11072007-01-27

ここ1週間、いろいろと感じること、考えることがありました。
そんな中、街の景色はバレンタインデー向けに塗り替えられています。そんなに寒くもないですが…。

映画とは別の話を、少しだけ記してみたくなりました。
少し早い話題ですがご勘弁を願います。


初めての2.14.は、オイルショックの少し前。小学6年生の冬。
“バレンタイン・デー”という習慣が一般化して広がっていった初期の頃ではないでしょうか。クラスメイトの女の子から、生まれて初めてチョコレートをもらいました。

私は、学校の係の仕事を一緒にやっていた彼女のことが好きでした。小柄でおとなしくて、でもちゃんと物事を考えて行動していていた女の子でした。
確か、係の仕事は校内の掲示物を張り替えたりするもので、いつも背の高い私が高い場所に押しピンを刺しました。彼女は下でポスターを持って渡してくれていたものです。
九州の地方都市という地域性もあったでしょうし、その頃はまだ何となく、男の子は硬派をもってよしとする時代の空気がありましたので、校内を二人でポスターを持って歩いている時に、これといった会話を交わした記憶はありません。いつも黙って、淡々とやっていたように思います。

もらったチョコレート自体の記憶は殆どありません。今どきのように凝った商品を小学生レベルが購入できる訳もなく、せいぜいスーパーの棚に並んでいる中から、お小遣いで買えるセンスのよいものを選んでくれたのだと思います。残念ながら、食べたのかどうかさえ記憶は曖昧…。直接手渡された訳ではなく、机の中かなにかに置いてあったはずです。彼女と言葉を交わしてはいないのです。
教室で、他の女の子たちから冷やかされたことを憶えています。まだ義理チョコという概念はなかったので、クラスの男子でもらった子はそんなに多くはなかったと思います。冷やかされて、どう反応したのか…? あまり騒いだりした憶えはなく、無反応に努めたような気がします。
決して大袈裟に否定したり、軽んじたり笑い飛ばしたりはしなかった。それだけは、教室にいる彼女に対して絶対にとってはいけない態度だと、幼いながらも思ったのでしょう。何とからかわれても黙っていました。

結局、翌日からは何もなかったかのように日々は過ぎ、私は彼女に直接お礼を言えたのかさえはっきりとは覚えていないのです。言ったとしてもそれは教室内で、儀礼的に言っただけだと思います。
そして、すぐに卒業式を迎え、中学に進学する春休み中に私は転居してしまいました。そのままです。

思春期の入り口でしたので照れもあったのでしょう。もう1年も経ていたならば、それっきりにはしなかったはずと、微かな悔いが残っています。

大学時代に一度だけ、彼女の住所を探して手紙の交換をしたことがありました。それも1回だけでそれっきり。短大で食物栄養の勉強をしていると書いてあったその手紙は、まだ手元に残っています。

その手紙を久しぶりに読み返してみました。


不思議なものです。
12歳の彼女の面影に似つかわしい丁寧で整った文字と文体、かつての同級生への気軽な優しさの込められた2枚の便箋に、あの2月14日につながる言葉は微塵もありません。
きっと、彼女にとってもあの時あの場だけの些細なイベントに過ぎなかったのでしょう。それだけの出来事にしか過ぎません。
でも、ひょっとして、あの時私が彼女とちゃんと向き合って、何か言葉を交わすことをしていたならば、違う時間が流れた可能性もあったはずなのです…。


2.14.を迎える度に思い出すのは彼女のこと。
大半は義理ながら、これまでいろんなチョコレートをもらってきました。これからもそうなのでしょう。ですが、私の生涯で最も希少で貴重なチョコレートは、あの時のもの、ひとつきりです。
きっとバレンタインだけは、生まれて初めての時の輝きを、その後超えることはないイベントなのでしょう。