「幻の町」(1976)

kaoru11072006-11-19

1976年2月8日、東芝日曜劇場1000回記念として放映された北海道放送HBC制作のドラマ。
脚本は倉本聰
キャストは、笠智衆田中絹代桃井かおり北島三郎室田日出男。1976年度文化庁芸術祭賞優秀賞、芸術選奨文部大臣賞受賞。

冬の小樽、ある1日の物語。

仲のよい老夫婦(笠・田中)が小樽に住むゆか(桃井)を訪ねて来た。二人は樺太(サハリン)からの引揚者。長く暮らしていた樺太真岡町(ホルムスク)の地図を、記憶を頼りに10年がかりで作成していた。記憶を補うために小樽在住の引揚者を訪ねて回っているのだと言う。ゆかの両親も引揚者だが既に故人だった。

翌朝、旅館で目覚めた老夫婦は肝心の地図を紛失したことに気づく。慌てて小樽の町を探し回る二人。
地図はゆかの家に置き忘れてあった。その日ゆかは、恋人である長距離トラック乗りの信次(北島)と久々に会える日だった。このところすれ違い続きで今日こそはちゃんと会いたい・・・。それでも、ゆかは老夫婦に地図を届けようと駆け回る。その途中、ゆかはその地図が不正確であることを知る。部分的には真岡だが、引揚後に住んだいくつかの町の記憶が混じっているのだ。

信次との約束を反故にしながら、老夫婦に地図を手渡したゆか。安堵し感謝の言葉を重ねる老夫婦。
「真岡はわしらに忘れられん町です。こいつと一緒になったのもあの町です。店を持ったのもあの町です。娘のできたのもあの町です。・・・この地図が唯一の財産です」
真岡の20年間は青春のすべてであり、香苗という娘もそこに眠っているらしい。
喜ぶ二人の仲睦まじい様子を見ていたゆかに、ほんの僅かな残酷さがこみ上げる。
「それは真岡の地図じゃないって。真岡もあるけど、当別や静内や・・・。さよなら」
急ぎ立ち去るゆかに突き上げる自己嫌悪。

老夫婦は18:36小樽発の列車で小樽を去る予定だった。ベートーベンの第九が流れる駅前の喫茶店で時間をつぶす二人。失意は隠せない。
「あの地図はやっぱり駄目か」
「やり直せばいいんです、もう一度始めから」
「うン・・・。やり直す言うても、もう先時間がなァ・・・。・・・真岡に行ければ楽なんじゃが・・・」
二人の会話は少しずつ、混乱と願望と、そして狂気を帯びていく。

「船に乗りましょうか。汽車は取り消して・・・樺太へ行く」
「何を馬鹿なことを言うとる。樺太へ行く船など今はないンじゃ」

自己嫌悪を覚えながら信次のもとに駆けつけたゆか。信次は口もきいてくれない。仲直りのチャンスは18:00過ぎのトラックの出発時刻しかない。しかし、ゆかは小樽駅に向かう。
「どうしてももう一度あの人たちに会って・・・、さっきのはウソだから、気にしなくてもいいンだからって」

発車時刻を前に小樽駅を探し回るゆかの前に、老夫婦は現れなかった。 二人は港にいた。霧の中に佇む二人の前に、幻の連絡船の汽笛が聞こえてくる。
「真岡は昔のまンまじゃろうか」
「昔のままですよ、まちがいなしッ」

諦めて駅を出てきたゆかの前に、信次のトラックが止まっていた。
「来月の10日にまた来るから」
「ウン。・・・待ってる」

誰もいない小雪の舞う埠頭の映像に、老夫婦の会話がかぶさるラストシーン。
「明日の今頃は真岡ですね」「うン」


単発のTVドラマとしては、国内でベストの作品だと思っています。倉本聰はラジオ出身なので、音声と台詞の間の使い方が絶妙。この作品では一際見事です。
幻の連絡船を待つ場面で、笠智衆田中絹代に可愛らしくキスをするシーンがあります。名場面とはこういうことを言うのだと思います。
この時代背景、このキャスティング。現在リメイクすることは無意味でしょう。あの時の1回の輝きです。HBCにビデオが現存していたら、状態が悪くてもDVD化してほしいものです。

このドラマ放映の1年後、77年3月21日。日本映画史上最高の名女優 田中絹代はこの世を去りました。以下は、倉本聰のエッセイ「さらば、テレビジョン」よりの抜粋。田中絹代が亡くなった日に鎌倉の自宅を訪問した時のエピソード。

その部屋はひどく寒かった。寒いのに暖房の設備が殆どなかった。寒い上にやたらに暗かった。(中略)洋間に続く四畳半があり、そこに小さな置きごたつがあった。こたつのすぐ脇に電話があったので、田中さんはいつもここにいたンだなと判った。古びたテレビが1台あったが、驚いたことにそれは白黒テレビだった。それがたったの1台きりだった。
(40年間運転手として付き添っていた老優が倉本氏に話しかけたそうです)
「先生ごらんよ、ここにいたんだよ、田中絹代はいつも独りでね。俺がたまに来るとこの暗い部屋で、こたつに当たって頭かかえてンだ。両手でこうやってさ、電気もつけずにさ、田中絹代はいつも独りで、頭抱えて坐ってたンだ。え、判りますか。天下の田中絹代がですよ!頭抱えて坐ってるんですよ!」

笠智衆も、既に世を去りました。