「M鄯:Ⅲ」2006

kaoru11072007-01-13

公開から半年経過してあまり芳しくない評価のこの映画、DVDでチェックしました。
スター:クルーズが個人的な思い入れに基づいて製作を続けているシリーズですが、私は3作の中で今回のものが最も好きです。

アクションシーンに様々な工夫が盛られ、相当見応えのある場面が展開しますので、劇場の大スクリーンの見栄えも十分でしょう。そして、それゆえに、観終わっても心に残るものはないクルーズのプロモーション映画という印象になるのでしょう。
ストーリーもひねりはあるものの、甘くて浅くてご都合主義で…、肝心の“ラビット・フットって何?”で誤魔化された感もあるのかもしれません。何となく否定的な反応が目立ちます。


確かに傑作とか名作の評価はないでしょうが、私はこの作品に盛りこまれた情感が結構好きです。
前2作との最大の違いは、クルーズ演ずるイーサン・ハントとそのチームに与えられた“ミッション”とは直接関係のない、個人的な感情についての物語になっているという点だと思います。

本作のプロットは極めてシンプル。ハントが2人の思い入れある女性を奪還するストーリー。
それは一度は失敗に終わり、二度目は勝利する。そこには国家機関の“ミッション”などどうでもよくなってしまう個人の思い入れの強さが込められます。手塩にかけて育てた後輩、仕事の秘密は伏せながらも心底愛する新妻。今回のハントの行動はその2人への思いのみに突き動かされています。
そして、そんなハントを支援するチームの面々。そこに描かれるのも、ある種の友情、チームメイトの無事と成功を祈るシンプルな願い。
それらはひょっとしたら、“ミッション・インポッシブル”という世界観を破綻させてしまうかもしれない危険物。その証拠に、次回作が作れるのか?と心配になるようなエンディングまで見せてくれています。まあ、その辺は、新しい妻に向けてのクルーズの愛情宣言ということなのでしょう。

不可能な課題を解決するためには、当然個人のスキルの高さが必要です。しかしその限界を超える力を発揮するには、個々人の情の部分が突き動かされねばなりません。この3作目はその部分を臆面もなく押し出して主人公たちを動かしているように思います。
例えば、後半にいくつかあるクライマックスに意外なシーンがありました。上海のビルにハントが突入し、謎の物体を強奪してくる場面。カメラはビルに潜入したハントではなく、彼を救出すべく待機しているチームの2人を映し出します。このシリーズでおそらく唯一、チームメンバーが作業しないで他のメンバーの無事を祈っているシーンです。ラストでの妻への告白にも驚きましたが、このちょっとしたシーンは発見でした。


巷ではあらゆる組織で成果主義が定着しつつあり、仕事に向かう個人の力量、その「才」と「能」が常に語られ注目されています。それはそれなりの合理性と必然性のある流れなので、それ自体に異を唱える積りはありません。
ただ、その流れの中で薄れがちなのが、仕事を担っている人間たちの「情」と「徳」。それに光が当たりにくくなっていることには些か引っかかりが。
確かに個人の高い「才」「能」は必要です。ただし、それがチームとしてより高い成果を目指すときには、構成員間の「情」や「人徳」の相互作用も必要だろうと思います。そういったもののない状態で、ホワイトカラー・エグゼンプションと言われても…、ということになるでしょう。いや、ちょっと話がそれました(笑)。


トム・クルーズという俳優・製作者を個人的には知りませんが、おそらく彼の内面に、そうした人間相互のシンプルで強い情感の作用への信頼があるように思います。そういったものへの誠実な感覚が、この作品には表れているように思えます。そんな風に感じるのは自分だけかもしれませんが。
確か、彼はLD(学習障害)で、識字力に困難を抱えていたと思います。要は文章を読む力が健常ではないと思います。もし事実と違っていたらご指摘ください。また、出世作のひとつ「レインマン」出演にあたっては、ダスティン・ホフマンが演じた自閉症者の役を切望した経緯も知られています。
おそらく彼は、その恵まれた容姿の裏側に、人には言えない苦悩を抱えてここまできたのだと思います。成功者ゆえの揶揄も受けているようですが、私は彼の中にある誠実味を感じています。

誰も書かなかったトム・クルーズ

誰も書かなかったトム・クルーズ