「博士の愛した数式」2006

kaoru11072007-05-27

優れた小説を映像化することは、本当に難しいことだと思います。
この見事な見事な珠玉のような小説の映画版は、やはりその難しさを露呈してしまいました。
ただ、決して私は否定的に観た訳ではありません。この映画に関わった人々が、いかにこの原作を愛しているかが伝わってくる作品でした。映画の完成度はともかくも、いとおしい作品であることに間違いはないのです。

原作を同僚から借りて読んだのはつい先日のこと。評判だけは聞いていながら、天邪鬼な性格が邪魔をして手にとるのが遅くなってしまいました。
結果、一晩で惹きこまれ、圧倒されました。
そのアイディアの卓抜さ、ディティールの豊穣さ、文字情報と数字情報の視覚的効果まで用いた文章の美しさ・・・。
私は文学の熱心な読者ではありませんが、この小説のレベルの高さくらいは理解できます。どんなジャンルであれ、真に素晴らしい創作は素人目にも明白になるものです。


(c)2006「博士の愛した数式」製作委員会


原作の豊穣なディティールを映像化するために、製作者たちは本当に知恵を絞り工夫を重ねたことがよくわかります。
ヒロインの深津絵里、博士を演ずる寺尾聡のキャスティングは、現状で望みうる最良のものではないでしょうか。本当は二人とももう少し歳をとりたいところでですが、キャラクターの心性をわかりやすくビジュアル化することに成功していると思います。少なくとも寺尾聡は「半落ち」よりも遥かに素晴らしい人物を描いていると思います。

一方、深津絵里の演技にケレンはありませんが、挨拶のひとこと、素直な返事の音感、謙虚で慎みを体現した仕草など、ひとりの社会人女性のよき生活姿勢を漂わせていて、これも見事でした。

また、小説では表現できない背景・風景の美しさを、長野の綺麗な景色の中からカメラを離すことなく、一貫して人物のバックとしている姿勢に間違いはないと思います。原作のテイストを損なわず、美しく儚い心象風景としてフィルムに焼き付けた愛情には、大いに共感を覚えます。


しかしながら、原作における重要で見事なモチーフのひとつである、野球と数字の絶妙な因果関係を描き出すことはやはり難しかったのでしょう。肝心のプロ野球は少年野球に置き換えるしかなく、そのために博士の人物像がアクティブな方向にずれてしまうという弱点を抱えてしまいました。
プロ野球の事実へのこだわりがなければ、何故80年代に舞台が設定されているのかも、江夏豊のストーリー上に占める重要性も、よくわからなくなってしまいます。

そういったディティールに変更を重ねざるを得なかった結果、肝心の博士の人物像の彫りが半分くらいまでになってしまい、どうにも口当たりの良い部分だけが映像化されてしまったのではないでしょうか?
博士の有するマイナスな社会性が醸し出すサスペンスが、原作後半の要点でもあったのに、そこは殆ど触らず仕舞いとなり、ヒロインの息子の成長した姿や博士の義理の姉のキャラクターを原作から離れて付け加える方向に向かわざるを得なかったのでしょう。それはどうにも残念なことでした。仄かに匂わせる事の粋と、人物に説明させてしまう醜悪さからはどうしても避けられないのでしょうか? 浅丘ルリ子は少し可哀想です。


そのため、この物語が抱えている人生の哀しみというものが、もう一歩表現できずに終わったように思えてなりません。例えば、それは、死のイメージを避けたことにも顕著だと思います。おそらくは、哀しさよりも、大人の寓話としての美しい儚さを狙ったのでしょう。それはありですが、やはり残念でした。


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原作者である小川洋子氏は、私よりひと学年下。おそらく同じ時期に同じキャンパスの空気を吸っていたはずで、そんなところにも何かしら感慨ももってしまいます。
いずれにせよ、この小説は素晴らしい。映画から入った方々が、原作にも手を延ばされることを切に望みます。