「さらば愛しき大地」1982

kaoru11072007-10-08

学生時代にリアルタイムで観た邦画の中でとりわけ印象深い作品でしたが、まだこの世を生きることの意味を殆ど知らなかった未熟な身では到底“好き”とは言いがたい種類の映画でした。
1982年の映画賞を総なめにした高品質の映画。昨年10年ぶりの新作「カミュなんて知らない」をリリースした柳町光男監督が自らのオリジナルシナリオを茨城の大地に腰を据え丹精込めて撮ったリアリズム。
その物語は、人生の辛辣からひと時でも逃れようともがくことで、淡々と破滅に向かっていく男の姿を見つめ続けたものでした。カメラはこの男を適度な距離をとって捉え続け、決して救いの手を差し伸べることはありません。それはあたかも実験動物の生体反応を観察するが如くです。その迫力に息を呑んだことを憶えています。


田園地帯を工業化の侵食が進む80年代初頭の茨城県鹿島。農家の長男である幸雄(根津甚八)は百姓を嫌ってトラック運転手として自営しながら妻と二人の息子と暮らしていた。ある日、幼い息子らを不慮の事故で溺死させてしまってから幸雄の生活は崩れ始める。供養のためと息子らの戒名を背中に彫り込む行為は彼なりの切実であれ、妻との心情にひびを入れるには十分だった。そんな幸雄と心を通わせたのが弟と付き合っていてことのある順子(秋吉久美子)だった。間もなく二人は一緒に暮らし始める。
時が過ぎ、順子との間に娘をもうけた幸雄だったが、どこか地道な根気を欠く幸雄には稼業の発展は難しく金に困る日々に陥っていく。その中で彼が手を伸ばしたものは“シャブ”。局面を打開できない幸雄はずるずるとのめり込んで行く。何とか暮らしを立て直したいと願う順子の思いも届かず、弟にまで哀れまれた幸雄は幻覚と現実の区別すら見失っていく・・・。

さらば愛しき大地(廉価版) [DVD]

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改めて何とシンプルで絶望的なストーリーであることかと思います。全く暗いです。しかしながらこの映画は美しい。非常に印象に残るのが、描写の合間合間にインサートされる鹿島の田園風景です。
どっしりと構えたカメラが捉えた鮮烈な緑の穂のそよぎ。コンビナートの銀色と運搬される砂利の灰色と、この緑の風景の混在の中に、幸せになりたいともがき続ける人間が点在しています。その諦観が漂うような視点の一貫性に、作家の眼を意識させられます。


根津甚八演ずる幸雄の人間像。快楽主義で地道な努力は苦手だが決してワルではない。状況と環境にさえ恵まれている限り、そこそこのアニキ的存在だったろう存在。でも、一度掛け違えたボタンを修復する力はないのです。弱い人間と言えば弱いのでしょう。でも、観客たる自分との隔たりはどの程度あると言えるのでしょうか? 何もかも上手くいかなくなった惨めさを背に、幼い娘を連れて粗末な外食をする姿に何も感じない男がいるでしょうか? 彼我の差はきっとそれほど大きくはないのです。

秋吉久美子演ずる順子の生き方。駄目な男に付いて行くしかない暮らし。理に立てばそこに埋没せず出て行くことが当然ですが、彼女には男が刺青を彫った心情に打たれた記憶があります。情として破滅に添う生き方もまた、人間のひとつの選択だと思えます。暮らしの破綻に辛さを募らせた彼女が、酒場で歌うカラオケのワンシーン。中島みゆきの「ひとり上手」。理に立ってさっさと男を捨てられるならば、あの下手くそな歌声に哀切はこもらないのでしょう。ひとの気持ちは割り切れません。


たまたま見つけた根津甚八氏のブログに、本作撮影時のエピソードが記されていました。
リアリズムの実践として、茨城弁を徹底的に叩き込んだこと。そして覚せい剤中毒者特有の、注射の独り打ちをマスターすることを心がけ深夜徹底した練習を繰り返したそうです。ワンカットで捉えたその注射のシーンの迫力は異様なほどで、確か本作公開時に“根津甚八は本当にシャブをやっていたのでは”といった冗談が業界誌で語られていた記憶があります。

惨めともいえる人間の愛しさと残酷さから目をそらさずパッケージングした本作は、柳町光男氏の紛れもない傑作。この数年後に製作された「火まつり」よりもこっちが好きです。誰にでもお薦めできる種類の映画ではないですが、日本の現代文学として大切な映画だと思います。