「レッド・サン」1971

kaoru11072007-10-11

アラン・ドロンが来日したそうで、記憶の底に眠っていたこの映画のことを思い出しました。
60年代後半〜70年頃、国内で大人気だったドロン(仏)とチャールズ・ブロンソン(米)、そして日本が誇るトップスター三船敏郎の3人を主役に据えた西部劇。しかもフランス資本でフランス映画。アフレコを経て19世紀の米国で全員仏語で喋っているという不思議な作品でした。監督は007シリーズで娯楽映画の腕前が買われていたテレンス・ヤング。共演のヒロインにはウルスラ・アンドレス(「007ドクター・ノオ」のボンドガール)と、キワモノ的なエンタメ大作という認識は正しいと思います。

しかし、公開当時10歳だった自分たちの世代にとって、この映画は非常に重要なポジションを占めていました。つまり、海外のトップスターと日本の俳優が対等のキャラクターで描かれた画期的なものだったからです。

あらゆる分野で国際化が自明となり、猫も杓子も英会話を学び、WASPからアジア系から黒人からアラブ系まで多様な異民族と国内で身近に接し、これまた猫も杓子も海外渡航が当たり前となっている今日からは想像しがたいと思いますが、外国映画の画面フレームにちゃんと日本人が映っている映像など、本当に希少価値があった訳です。稀にそういう作品を目にすることがあっても、大抵はまともな考証などされておらず、一体何処の国の民族なのかすらわからず、自国と自国民についてのコンプレックスを痛感してしまうものでした。

そんな状況を変えてくれたのが“世界のミフネ”こと三船敏郎であったというのは、正しい歴史認識というものです。黒澤映画の全盛期をほぼ完璧に主役として支えきった稀有な存在は、海外における日本人のイメージの向上にどれほど貢献したことか。“国民栄誉賞”などというものは、こういう人のためにあるのではないでしょうか。
本作も突っ込みどころは沢山ありますが、それでも三船演ずる日本の武士の描写には、それなりに敬意が払われていることを子ども心にも感じられました。それはとても誇らしい映画体験でもあった訳です。

19世紀後半。日米修好の任務を帯びた黒田重兵衛(三船)ら一行は、鉄道での米国内移動中に、大統領に手渡すべき宝刀を強盗団に盗まれてしまう。強盗団はリンク(ブロンソン)をボスに、凄腕のゴーシュ(ドロン)らだった。その機にゴーシュはリンクを陥れて裏切り、宝刀を奪って独りで姿を消した。宝刀奪回の命を受けた重兵衛は傷を負ったリンクを助け、彼を案内役にゴーシュを負う。異国の道中、リンクと重兵衛はカルチャーギャップを覚えながらも、互いの力量を認め合うようになる。ゴーシュの情婦(アンドレス)も交えた追跡行の果て、ゴーシュと再会したリンクと重兵衛はコマンチ族を敵に回して共闘する破目になる。その混戦も落ち着いたとき、宝刀の奪回の決着はいかに? 裏切りへの落とし前はどうつけることになるのか?

ストーリーは、もう顔見世興行優先なので、固いことを言われても困る、という感じです。それでも、3人のスターにきちんと見せ場を作っていく気配りには好感が持てました。おかしな部分もある脚本でも、ギリギリのプライドは守って見せた三船の演技は嬉しいですし、そんなエピソードの積み重ねの中で、日本人の風俗習慣への敬意を覚えていくブロンソンの役柄は、日本での好感度を相当アップさせたように思います。その点、ドロンは腕は立てどもズルイ二枚目といったクールな役どころで可もなく不可もなく、という感じ。


映画は文学の一形態でもありますが、世界共通に夢を見るための貴重なツールでもあります。
この「レッド・サン」は、当時の私たちにとってひとつの夢を見させてくれた忘れがたい作品でした。