「魍魎の匣」2007

kaoru11072007-12-31

本年最後の劇場鑑賞。久し振りに歌舞伎町のミラノ座へ。
京極夏彦の“京極堂シリーズ”は10年程前に愛好していた原作。中でもこの「魍魎の匣」はマイベスト。ただ、書店でご覧になった方はお分かりのように、あの分厚い原作に盛り込まれた膨大な情報量を2時間程度のドラマに仕立てるのは至難の業。05年に故実相寺昭雄が「姑獲鳥の夏」の映画化に取り組み、必ずしも成功しなかった(未見)と聞きます。では、原作としてよりドラマティックな本作の出来や如何に?

映画は面白く観る事ができました。非常に知的なシナリオと演出。独特の語り口と多種多様な情報の玉手箱のような原作をうまくダイジェストしています。大きく刈り込んでいても物語のエッセンスはほぼ網羅していますし、京極堂、榎木津、関口、敦子といった主要キャラクターの印象もくっきり。原作を壊しすぎていないので、京極ファンからそっぽを向かれることもないでしょう。“箱”をめぐるいくつかの妄想的でフェティッシュな視点もちゃんと描写されていて、オールスターキャストとも相まって正月興行の話題性と動員力はまずまずではないでしょうか。プロデューサー的には及第点。

文庫版 魍魎の匣 (講談社文庫)

文庫版 魍魎の匣 (講談社文庫)

原田真人監督は映画ファン・映画マニアの視点をそのまま持ってプロの監督になった方。この映画でも、様々な映画的引用に基づいて難度の高い演出の引き出しとしているようです。それが本作全体に非常に知的な印象を与えています。賢い監督の手による映画と感心もしました。

京極堂堤真一、榎木津=阿部寛、敦子=田中麗奈の3名はピッタリと思います。中でも本作における敦子の存在感とアクセントは素晴らしい。こうした江戸川乱歩に始まるおどろおどろなミステリー世界観の中で、彼女のような存在がいかに救いになり物語を紡ぐフックになることか。その役割を原田監督はよく理解していると思いますし、その点で田中麗奈の演技は完璧。今後もシリーズの映画化が続くとして、この3名は是非維持して欲しいものです。

しかしながら本作がより心に刻まれうる映画として成立しているかと言えば・・・、残念ながら否と言わざるを得ません。端的に言ってしまえば、技は見事でも心が見えない、といったところ。


原作の情報量が膨大であることには意味があるのです。敗戦7年後の東京の風俗、江戸川乱歩の「押絵と旅する男」からインスパイアされた異形の人の美に対するフェティシズム、昭和20年代の設定でこそ成立する大仕掛けのトリック、奇妙奇天烈な主要人物たちの絡み合いと因縁話の多重性、等々が複雑に並行しながらクライマックスの“憑もの落とし”で完結していくカタルシス
その不思議な面白さを支えているのが、やはり人間心理の陰の部分への理解共鳴だと思うのです。決して肯定したいという訳でなく、善悪を超えた共鳴。
エピソードの鍵を握る人物たちそれぞれに潜む心の陰の部分、そこにしっかりと焦点を定めることができたなら、本作はジェットコースター的娯楽映画の枠組みを超えて大人の心に深く刻まれる映画となれたかもしれません。

何故、あの男は“箱”に魅せられたのか? 何故、あの少女たちは深い絆で結ばれたのか? 何故、あの女性はあの男を愛さずにはいられなかったのか? 何故、何故・・・? すべては台詞の断片で語られてはいますが、そこをサラッと流されては、心に食い込む機会を失してしまいます。上映時間をあと30分いや15分費やして深めることができたなら、と。原作愛好者としては思わざるを得ないのです。

もうひとつだけ不満。昭和27年の東京を低コストで再現する策として上海ロケを多用していて、ある程度までそれは成功しています。しかし、あまりにやりすぎていて無国籍映画と化した部分は残念です。いくらなんでも昭和の日本家屋が全く登場しない。特に後半、少女が襲われる場面での家屋は誰がどう見ても中国の庶民街の暮らしぶりでしかありません。・・・うーん、難しい。


さて、本年の更新もいったんここで区切ります。覗いて頂いた皆さまにはありがとうございました。
また、来年も宜しくお願いいたします。