「ノーカントリー」2007

昨年の今頃、世界的に圧倒的な評価を得た本作。コーエン兄弟の才気はよくわかるのですが、個人的にはどうにも相性が良くないです。確かに、トップシーンから中盤まで圧倒的に画面に引きつける上手さを伴った腕力はこの映画の大きな魅力です。1980年頃のテキサス州、メキシコ国境近辺に発生する殺伐とした暴力の連鎖。特に、無慈悲且つ無感情に殺戮を繰り返すシガーという得体の知れない人物の造形は、演じたハビエル・バルデムの圧倒的な存在感ゆえに本作にワンランクもツーランクも上の格を与えました。その点は素晴らしい。画面も乾いてシャープ。文句の言いようはない。しかし…。この物語と人物造形に現代の暴力、現代アメリカの病理めいたものをテーマとして投影し…、といった全体像が凄いかと言われると、私には「?」としか思えませんでした。

“動機なき殺人”という言葉はとっくに使い古されています。殺害殺傷の残虐性も信じられないようなエスカレーションが世界中に存在します。シガーという男の行動原理と価値観は、世間の常識を超越して孤高の独自性を湛えている。それが映画「ノーカントリー」のコアですが、2007年という同時代に生きる観客にとって、それはさほど驚きではありません。トミー・リー・ジョーンズ演ずる保安官は、事件の傍観者として人間理解を超えた暴力への無力さをぼやき続ける役回り。この台詞やモノローグが、シガーのアクションと重なり合うことでテーマを浮き彫りにしていく構造構成である訳ですが、それもそんなに珍しい訳ではありません。物語の舞台である80年代に、突如このような暴力が台頭したとも思いません。世界には常に理不尽な暴力は存在していました。社会の構成員が皆理解しあえていた共同体の存在など幻想に過ぎません。本作の描写が格段に強い切れ味を持っているとして、だからどうなのだろう? というのが素直な感想です。アクションシーンの鋭さには感心しますが、保安官が思わせぶりに嘆息してみせるシーンには、正直なところ退屈させられました。国際的に大変高い評価を得ている訳なので、きっと私が鈍いのでしょう。

(C) 2007 Paramount Vantage, A PARAMOUNT PICTURES company. All Rights Reserved.
単純に比較すべきことではないでしょうが、敢えて記します。人間の理解や想像を絶する残虐且つ圧倒的な暴力、その理不尽と不条理を、私たちは1945年8月に広島と長崎で体験しています。そこから生じた生理的な怖れや身のすくみ、世界に対する感受性の変化を、米国人はまったく知らないのでしょう。だから今更のように深いテーマとして持ち上げるのでしょう。本作も、9.11以降彼の国の人々の内面に育ち始めた怯えのひとつの発現かもしれません。
戦争と個人の暴力を同列視するな、というご意見もあることでしょう。しかし、それは暴力の行使者にとっての次元の違いでしかなく、行使され破壊される側にとっては同じことです。被害者の側に立つ限り、同じ次元で語りうる問題であると思います。そう思うとき、こと暴力に対する感受性において、米国人のそれはまだまだ幼いのでしょう。敢えてそう言いたいと思います。

ノーカントリー スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]

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